リバービューは東向きじゃなかった

まどろみから目を覚ますと、そこはまだ病室で、廊下の薄明かりが眩しかった。時計は5時45分を指している。少し眠れたようだ。
脚はピリピリと痛み、頭は重かった。
夢の残像を追い掛けるように言葉を探ったが、程なく消えてしまい、今日の夢はそれほどかわいくなかったから、諦めた。

前回入院したのは、おそらく震災の前後だった。インフルエンザをこじらせて脱水を起こした私を、病院を敬遠していた両親がついに救急へ連れて行った。即入院となり、単なるブドウ糖を点滴されてすぐに元気になったが、しばらく入院したような気がする。
家を出る時、兄が「たぴおかじゃないみたい」と言った。心配というより、驚いたり慄いたりしているようで、私はその距離感に心が削られるのを感じた。普段の私、って何だろう。わかるはずもなかった。

病院では、何をどう振る舞えばいいのかわからなかった。看護師に腕を差し出し点滴針を刺され、遠巻きに質問ばかりする両親にわがままを言った。
誰か見舞いに来たかどうかは覚えていない。その前年入院した時は、大好きだった担任の先生が来てくれて嬉しかったのに。

今回は面会謝絶にチェックを入れたので誰も訪ねてくるはずがなかった。それはまるで私を煩わしい社会から保護してくれているようで嬉しかった。
体温を六回測ってくれて、熱が0.3度前後するのを気にしてくれた。もちろん仕事なのだが、優しい声で熱が下がりましたね、痛みは大丈夫ですかと聞かれると、子供心が疼いた。

何かの呼出音らしいショパンとモーツァルトのメロディーがひっきりなしに廊下の向こうから聞こえてきたが、病室のドアはいつも開いていた。一度閉めたが、また開いていて、どうやら「開けておく病室」らしかった。他の部屋は閉まっていた。

私は形成外科の患者だが、同室の老人達は違うらしかった。どこが悪いのか知らないが、苦しそうな咳を聞くと胸騒ぎがした。トイレの度にナースコールを押さなければならない悔しさも、カーテンの隙間から伝わってきた。長期入院らしく、どこか諦めた喋り方をする彼等もまた、病院の外に安全な場所を持たないのかも知れないと思った。

一度電話の声が聞こえたが、「あまり話したくないからそれ以上は聞かないで」と何度も言っていて、賢明な老人だと思った。弱っていると色んなものが取り込もうと手を伸ばしてくる。そう、私も脚を怪我した隙に羽根を毟られることを恐れていた。

たまらず一人に連絡した。私は近頃彼のことが好きなのだが、社交辞令を脱出する糸口は見つからない。間合いの取り方を相手に合わせる私は今のところ満足しているが、私より近くにいる人がいて欲しくはなかった。彼が初心なだけでありますように。天に頼むのは無礼な気がしたから、リボンの騎士に祈った。

豪胆な主治医に、オールタクシーかタクシー電車タクシーどっちがいいかなと尋ねると、破産するから電車にしなさいと笑われた。あれこれ詰め込んで重くなってしまったボストンを抱えて駅を歩くのが怖かった。バジャックのキャリーを処分した数年前の自分を少し責めた。

今さら誰か呼びつけたかったが、土曜に予定を入れてない人も、キャンセルして駆けつけてくれそうな人も見つからなかった。いや、それを言い訳に一人で全てをこなすことを正当化したのかも知れない。私が一人なのは、誰も見つからないからであって、一人になりたかったからではないと。誰に言い訳をしている?多分、付添がないことを心配する病院スタッフということにしておこう。

一年もあちこちの病院や施設に出たり入ったりして悪化の一途を辿る伯母と、待望の初孫を産んだばかりの義姉に注目が集まったままにしておきたくて、緊急連絡先以外には一切情報を渡さず、口止めした。
背中を刺されなければ、大抵のことは動じずにこなせる。ワタナベ君は「孤独が好きな人間なんていないさ」と言ったが、今の私は孤独が好きだよ。無理に友達を作ってしまうけれどね。

快楽を貪る、という経験がないせいか、多少の痛みがないと私は不安になる。快楽には輪郭がない。それが拡がろうとすると、私は慌てて手を離してきた。痛みには限界があり、加速するよりは収束するものだ。傷跡は痛むが、今より痛むことはないだろう。

切られてる時間より縫われてる時間の方がはるかに長かった。いつでも、治すより傷つける方が簡単で速い。しかしこの十四年間で私はじわじわと茹でガエルになった。
積み上がったジェンガが崩れるみたいに、私の心身もいつか吐息の一つで崩れ去るだろうか。そんなに脆い生き方をしたくはないな。心も体も鍛えてきたのだから。

人は「寂しい」と「悲しい」そして「怖い」が言えなくて、怒ったり拗ねたり離れたりする。何故かなと考えた。裏切られているのだ。いつかの寂しさや悲しみが、また壁に当たってグチャリと潰れる様を見たくなくて、怖くて怖くて人は変わってゆく。言葉が残れば辛辣になり、去れば沈黙が残される。
私は今、ただ寂しく悲しく怖い。それを避けたいとは初めから思っていなかった。快楽で孤独が埋まらないことなど、カレーを食べた時に気付いていた。ただ、手中に収める方法を探し続けていた。そしてようやく今、私は私だけの悲しみを抱いている。

リバービューは東向きじゃなかった。朝日が眩しくないのは嬉しい。

二の腕が素晴らしい彼女は高跳の選手だったらしい。勇気を出した私は、きっと祝福を受けられるだろう。

今日は私の誕生日らしい。確かめる術もないけれど。忘れてしまったら、星座占いが出来なくなるね。

パンと牛乳とイチゴジャムの朝食に、給食を思い出した。私は学校に管理されるのが好きだった。自分で自分を管理できなかったから。

何もかも過去形になっていく中で、未来に残したいものは何だろう。静かに想う今が、一番好きになった。

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