高校を中退して大学に入学した人の話。

※この記事は TDU21 Advent Calendar 2021 の5日目の記事です

1. はじめに

 はじめましての方ははじめまして、そうでない方はこんにちは。ECのセッテです。この記事はタイトルが全てといえば全てで。驚いてもらえてたら幸いかな?最初に内容設定の動機とかを少し。
 何か話をするときに、その人にしかない特異なエピソードを話せたら強いよなぁって思ってて。自分にとってそれがこれかなと。文科省の統計によると年1.4%は中退してるらしいけど、そこからまた大学に入る人とかってのはそこそこ稀なんじゃねぇかなぁとか。てなわけでそんな感じに面白い話が出来ればいいかなぁと。
 で、内容の都合上100%の自分語り、一つまみのネガティブ要素が含まれているので、苦手な方はブラウザバックしていただければ。別に自分にとってネガティブな話題じゃないし、触れてほしくない過去でもないけれど、苦手な人もいるんかなと余計な配慮をしておきます。

 さて、それでは少し過去に戻って話を進めていこうかなと。全部を語るとそれだけで一本書けるので、割愛しながら。
 (追記:そこそこ長くなりました。最悪5~7章は冗長的なので飛ばしてください)

2. 高校入学までの変遷

 時はさかのぼり私が5歳の時、小学校受験をします。いわゆる"お受験"って言われるやつですね。ここが大きな転換点だったのは間違いないかな。小中と国立の学校へ通ったわけですが、やっぱちょっと特殊な環境ではあった、うん、多分。中学だと毎年修学旅行があって、それが文字通り"修学"旅行だったとかね。っていう環境の話が一つ。

 次にもう一つ。小3で学校のサッカーチームに入ります。このときは夢にも思ってなかったけれど、これが高校の志望動機に繋がってくるのですよ。というのも、サッカーを続けるうちに少しずつ上手くなって、選抜に呼ばれるようになって。言っても市とか地域とかそのレベルだったけれどさ。ただ、選抜に呼ばれてる他の人らは毎日2,3時間部活で練習してるのが当たり前みたいな環境だと、「いやいや、うちの中学長くても1.5時間、冬なんて30分しか部活の時間ないが?」みたいな思いがどうしても強くなって。「俺がこいつらと同等かそれ以上の時間練習したらどこまでいけるんだろうな」っていう思考に至るのはいたって自然なもんでしょうよ。

 と、そんなこんなでそこそこ偏差値あって、それなりに強い学校を第一志望にするわけでした。

3. 高校入学から

 そして無事に第一志望の高校へ入学します。偏差値そこそこ、サッカー部員は150↑みたいなとこで。いやぁそれなりに明るそうな未来を見据えてたんだけどなぁ。では、本題に入りましょうか。高校を中退したのは1年度末、実際に学校に行かなくなったのは9月の半ば頃ってところ。理由については主に二つ。

 一つ目は環境の変化ってやつかな。いや、ここは今になっても上手い表現の仕方が分かんないんだけど、なんというか、楽しくなかったんだよなぁ…どうしても。授業も人間関係も行事も何もかも、なにか物足りなくて、惰性で過ごす学校生活。これがまぁ根底にあったうえでのもう一つ。

 二つ目はまとめて言うならば"部活動"が嫌いだったってこと。紛らわしいけど「部活動≠サッカー」なのです。そうだな、一番はやっぱり部活動の上下関係とかそういうめんどくさいルールかな。この文章を読んでる人のどれだけが経験してるんだろうな、組織内での上下関係的なめんどくさいもの。具体的に言えば、言葉遣いとか、上級生に(校内&最寄り駅~学校)あったら止まってお辞儀と挨拶をしろとか。いやぁこの令和、平成の時代に100人以上いる人間と会ったら、止まって90度のお辞儀と挨拶を求めてくるとか正気かよって話よ。別に批判したいわけじゃなくて、俺がそういう不合理で非効率的なことが本当に大嫌いだったっていうことが一つ。

 だからきっと、糸が切れるのは時間の問題だったんだと思う。それが9月だったってだけで。夏休みが明けて、文化祭とその片付けが終わった次の日。朝5時とかにかけたアラームに目を覚まして、今日という一日を頭の中で描いていくわけですよ。「朝練(10km走)めんどくさいなぁ。授業も特に面白いのないし…。伸ばしてもらった夏休みの宿題の提出日、今日だったけか、やってないしなーそれも。まぁサッカーはやりたいけど、練習は別に楽じゃないし、そも挨拶すんのめんどくさいしな…」って一通り学校行って帰るまでを想像するわけです。その次の瞬間、「あれ?俺これ何しに学校行ってんだろ。何も楽しくないじゃん。」今でも明確に覚えてる糸が切れた瞬間だった。

 全部全部全部それまでやってきたことなわけよ。週2回の10km走も、教科書読むだけの授業を受けるのも、上級生にぺこぺこお辞儀するのも。夏休みの宿題(数学)はやってないけど。夏休み明けの数学のテスト、やってきたやつらより点数取ったけどなぁと思いながらね。「その数学の宿題出さないと単位あげられないんだよ」って優しく言われたのも府に落ちんかったけどさ。ただひたすらに溜まったストレスが爆発したようなそんな感じなんだと思う。

 ここからはお察しの通り不登校になります。当然っちゃ当然でしょ?学校へ通うモチベーションがほぼ皆無なんですもん。サッカーだけはもうちょっと上手くなりたかったよ、そりゃ。ただ、それと、そのチームでサッカーがしたいかはまた別の話なんだよね、これが。まぁその辺はちょっと割愛で。

4. 学校に行かなくなってから-9月~12月編-

 じゃそれから今に至るまで何してたのって話。少しずつ区切って話していきます。主に、勉強関連と趣味(ゲーム)の話かな。多分後者は…割とどうでもいいっちゃいいから飛ばし飛ばしでも構わないです。はい。
 とりあえずそっから年明けまではとにかく悩んだ時期かな。大分メンタルが不安定だった時期だとは思う。なんていうか、どうしたらいいのかどういう道があるのかがなんにもわかんなくて。調べるのも億劫だしで、とにかくだらだら過ごす日々。その中で友達と頻繁に予定を入れてたかな。自分の状況を話すわけじゃなかったけど、それまで部活で忙しくて遊ぶとかほぼ出来てなかったし。人と会って遊んで楽しいっていう体験をしたかったんだと思う。というよりそれを心が望んでたのかな、きっと。

 そんで、11月頃かな。さすがに見通しも立たな過ぎて、中学の先生に連絡とって。部活の顧問の先生でさ、割と連絡が取りやすくって。現状を話すのと、どういう選択肢あるかなっていう話を。転校とか、通信制とか、色々あるにはあったけど、また新しい学校に所属するってのが全くと言っていいほど魅力的に映らなくて。同じことを繰り返すんじゃないのかなっていう不安と、面白さを見出せそうな学校に行くには学力的な面でちょっと大変だよねっていうのとで。ただ大学には行きたいなっていう意思は強くあって。それで選択したのが高卒認定試験を受けるっていう選択肢でした。っていうのが選んだ進路の話。

 同時にこの辺からゲームの時間が増えましたね。もとからゲーマーだったのもあって、家から出なくなる生活を送る中でゲームの時間が増えたのは言うまでもないでしょう。この頃はまだゲーミングPCとか持ってなくてさ、スマホのゲームばっかやってたわけだけど。いやでもそれが無かったらッて思うとゾッとするね。色んな意味で。

5. -1月~2年次編-

 さて、年が変わり、二年生(のはず)の時期となります。高卒認定を受けるって決めたらもうすっぱり学校は辞めていいやって気になれたね。そこは一個大きかったと思う。そして、ちょうどいいタイミングってことで4月の年度が替わるタイミングで学校を退学します。

 そして、私のゲーム事情にも変化が訪れます。年明け前からですね、PUBGっていうゲームが流行りだすんですよ。今となっては大人気ジャンルと言えるPCのバトルロワイアル、シューティングゲームですね。それまで一切合切、FPS、TPSとかのシューティング系に興味が無かったけど、PUBGは配信とか見てとてつもなくやってみたくなったな…。というのがあって、3月あたりに、グラボとCPUを一新し、初代ゲーミングPCを完成させます。と同時にもちろん、PUBGを始めます。いや~これも幸か不幸か、人生を変える一大出来事だと今になって思います。

 時は流れ、7月に件の高卒認定試験を受けます。これは16歳になる年度から受けれるんですよ。ほんでもって、言っちゃぁなんですけど、めちゃくちゃ簡単なんですよね、これ。少なくとも3年高校に通って卒業するよりかは100%。多分中学生レベルの学力、知識があれば最低限解ける問題ばっかだと思う。少なくとも自分はそんな感じの状況で受けて無事に合格しましたとさ。
 して、次に大学受験を考え始めます。さすがに一人で勉強するよりかはどこかへ行ってやるほうが心身両方の健康上よろしいでしょうということで、大手塾?予備校?の高校へ通わず大学を目指すみたいなコースに通うことにしました。ただそれがまぁ難しかったね…。勉強がとかじゃなくってね。
 それがちょうど9月頃、つまり学校をやめてから1年後くらいの時期だったんだけど、体が想像以上に衰えてたね。当たり前だけどさ、引きこもってる生活を1年も続けてればそりゃ体力なんて秒でなくなるよねっていう。で体力がないだけならいいんだけど、精神衛生も良くなかったんでしょうね。出かける度にお腹痛くなっちゃって。さっさと病院行きゃよかったんだけどね。そん時は体力とか筋力の低下からくるもんだろうなって放置しちゃっててさ。そんなのもあってちょいちょい休むと、個別じゃないから普通に進んでるわけじゃん。それに途中から入るの無理だなぁとか思ったり。面白い授業してくれる先生もいたんだけどね…。あえなくいけない状態が4月頃まで続きます。

 それはそれとして、家でゲームやる時間はですねぇ減らないのですよ。というか増える一方ってやつだね。8,9月ぐらいかな?Fortnite(PUBGみたくバトロワゲームの一つ)とかっていう闇のゲームに手を出し始めます。というか誘われて始めてしまいます。未だに総プレイ時間が1番長いゲームですね…。

6. -3年次編-

 そんなこんなで受験1年前となります。この時点でそこそこの絶望感的なのが垣間見えるよね、今だと。真面目にやれる人間ならさ、こっからでもどうにでもなるんだけどね。自分という人間を知れば知るほど、まぁ無理よな~っていう。この時点で数Ⅱは終わってないし、物理化学はほぼ基礎で終わってるし。みたいな?そもそも塾に通えて無かったのが痛かったってやつですね。
 さすがにこのままじゃよくないよねと。その塾の担任?みたいな先生とも色々話して、じゃあ個別とかならどうだろうかという話になって。振替とかもできるし、ペース合わせられるしみたいな。そしてそういう生活が4月から始まりましたと。

 まぁ勉強の方が進みだすのと同時にゲームをする手も進む進む。マジでこの辺からちょっとずつ上手くなってくるんですよ。上手くなるにつれ楽しくなるもんですよゲームって。気の合うFortnite上手い人とも出会えて、大会とかにも出始めるんですよ。Fortniteの大会ってゲーム内で開催されてて、誰でも出れるんですよね。3時間で10試合まで回せてポイントに応じて順位が出るみたいな。そのね、順位が見えるってのがめちゃくちゃ楽しかったんだよね…。と、受験期直前くらいまでゲームを続けます。

 そして、お察しの通りというかご存じの通りというか、案の定この年の受験は残念ながらの結果になります。数Ⅲ終わったのが年明けくらいで物理化学もとりあえず一周みたいな形じゃさすがにダメだったよね…。でも感触自体は悪くなかったんよなぁ。「今これだけ出来るんなら来年は何とかなるんじゃね?」的な。その考え自体はそこまで間違ってはなかったと思うんですけどね。現実ってうまくいかないよね。
 あ、受験前にですね、ようやく病院に行きます。やっぱね治んなかったよ、お腹。薬もらってちょっと時間はかかったけど、全然楽にはなったかな?悪くなる前に比べたら今現在もそんなにいい状態とは言えない気がするけど。

7. -高卒1年次-編

 ここからは晴れて浪人となります。行ってた塾は3月で辞めてるので次を探すところから始まります。すぐに別の塾にコンタクトを取ったんですけどね。どうもその塾とはうまくいきそうになくてですね。あえなく選択肢から外れると。そうこうしているうちに、皆さんもご存じの通り、某コ▢ナウィルスが日本にやってきます。コ▢ナのせいにするわけじゃないけど、それもまぁ一つの要因となって勉強の手が止まってしまうんですね…。この3,4年で一番反省すべき点は間違いなくここでしょうね。うん。

 そんなやばい状況ですが、ゲームのモチベがめちゃくちゃ高かったんですよね…これが。ゲームのフレンドと「Fortnite、60FPSでやってるのはやばい」みたいな話をしまして。「いや~60FPSも144FPSも大して変わらんやろ~」と思いつつ、気にはなるよねみたいな。ってなわけで(?)新しいPC組んじゃったな~。今も使ってるメインPC。これはまじで文字通り見える世界が変わったね。そして夏頃までゲームに惚ける日々が続きます。

 夏に入って、コロナの感染がちょっと落ち着いたタイミング。さすがにやばいよねってことで動き出します。勉強教えてもらいたいわけじゃない、勉強する時間、場所を確保したい。っていうので自宅近くの個別指導のとこに通い始めます。高校受験の時にも行ってたのがあって秒で決めたかな。そこからは割と自制(※当社比)しながらの生活だったな。結局1から全部復習することになったけどね。

 そのまま受験期一直線。結果はまぁ言わずもがなですかね。勉強不足ってのは当然否めないんだけど、それ以上に日本語読めなかったり、算数できなかったりどうしようもないミスばっかでメンタル的な限界を感じたかな。言い訳にしか聞こえないけど。ただ、大学受かった時の「あぁようやくこれでこの生活が終わる」っていう安堵感はとてつもなく強かったし、それが全てだとは思ってる。

8. 体感したメリット、デメリット

 長々と空白の時間を語ってきたわけですが、この生活でこの選択をして良かったこと悪かったことをちょっとまとめて書いてみようかなと。

メリット

 これは本当に1点につきます。

・過ごす時間全てが自分の時間になったこと

 大学生なんかよりもよっぽど自由だったよ。やらなきゃいけない事はないし、締め切りのある課題もないし、朝起きなきゃいけない時間もない。極論そんな感じ。果たして本当にメリットなのかと問われると難しいとこだけどね。
 趣味に使える時間が増えたってのは良かったことかな。学校行ってたら行けなかったライブ行けたり、やってないであろうゲームをしたり、それがきっかけで色んな人とつながってご飯食べに行ったり。この選択をしたからこそできた事っていっぱいあって。大きな出会いはいっぱいあったと思ってる。それを含めて、これは俺にとっての大きなメリットだった。

デメリット

・絶望的なまでの体力、筋力の低下
・勉強時間の減少
・人との関りの減少
・高校生という限定期間の放棄

 上3個は自分の時間の使い方次第のとこはあるけどね。毎日通学する、授業を受ける、課題をやる、友達としゃべる。この学校に通ってたら当たり前のことがさ、どれほど大事かなんて考えたことないと思うんですよ。普通。めちゃくちゃ大事だったねほんとに。学校辞めるってなった時に、人との関りが減るのはちょっとやばいかなっていう考えはあったけど、それ以上に上2つが大きかったね。10km余裕で走れてた人間が3か月後には1km走るのすら辛くなってるんだよ。適当に授業受けて課題やったりテスト受けたりしたらある程度の学力って維持されるんですよ。その辺、適度に管理してもらえる環境って大事なんですよその実さ。

 とはいえ、それらは全部自己責任って話ですからね。自分で運動しとけばよかっただけだし、ちょっと真面目に勉強すればよかっただけだし、他の友達と連絡取り合ってればよかったし。それらよりもとにかく大きいのは青春の代名詞とも言える高校生という時間を放棄したことですかね。別に学校行ってたからってハニワ(HoneyWorks)みたいな輝かしい青春を送れたかどうかは分かんないですよ?でも純粋にそれだけじゃなくって、その3年間でしか得られないような原体験って少なからずあると思うんですよね。周りの友人を見てて、何か大事なものを置いてきちゃったようなそんな気はする。ただ隣の芝生が青く見えてるだけかもしれないけどね。

9. 最後に

 うん、想像の3倍くらいには長くなった。お付き合いいただいてありがたい限りですね。最初の方にもちょっと書いたけど、別に私自身はこの選択に対して微塵も後悔はしてないです。あの朝、ベッドから出られなかった俺が間違ってたなんて、そんなことあるはずないでしょ?じゃあつまりそういうことなんだって。

 それとは別に、想像はしてしまうものですよ。3年通ってたらどこまでサッカー上手くなれたかなとか、どれくらいの学力持てたのかなとか。考えるだけ無駄なのは知ってるけどさ、どうしたってIfの世界は気になってしまうもので。私のこの選択に対して「もったいないね」って言ってくれる人が普通にいるんですよ。確かに、もったいないものはもったいないなって自分でもそう思う。良いとか悪いとかじゃなくてさ。2年からスタメンorベンチ入りは出来たろうし、少なからず文系科目も最低限勉強してたろうし、どうなってたか見てみたい未来はそこにあって。…なーんてことを最初の1,2年間は一生考えてたな。

 こんなところで締めといたしますか。これを機に私自身に興味を持ってもらえたらそれはそれで嬉しいかなぁとか。嬉しいかなぁ!とか。体験談?だけど、総じて私の自己紹介みたいなもんだし。
 全部読んでくれた人いるのかな…笑。いたらそれこそほんとに嬉しいですね。多分これ読んでも「へ~」ぐらいの感想しかないと思うけど、「へ~」の二文字でも感想を言う気になったらTwitterの方までお願いします。

 Advent Calendar も枠空いてそうだし、どっかでまたハニワの話でもしようかな?それじゃぁまたいつか。

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