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人を好きになれないという病

こんにちは。セトセイラです。

突然だけど、私は多分モテる方なのではないかと思う。

でも、恋がしたいと思う自分がいる傍で、本心ではなかなか人を好きになれない自分がいるんだ。

私はその事で、ずっと、苦しんでいる。

この度、そんな自分を少しでも卒業したいなぁと思って、自分の恋愛の根本をまとめる事にした。

正直、人としてこんなにぶっちゃけてもいいのかななんて気持ちもある。

そんな『人を好きになれないという、病』の話。


どうしても人の輪に入れない自分がいる

「生きる事は、苦しい」

そんな事を、これまでの人生で私は何回思っただろうか。

一応お伝えしておけば、私の性格はけしてネガティブ寄りではない。

強いて言うなら、自分の感情を日常生活の中で上手にアウトプットする事が苦手だった。

どうしても、人の目が気になってしまう。

悲しい時は笑ってしまうし、怒りを覚えた時も冷静に話をしてしまうし、傷付いた時も笑ってしまう。

私は感情のアウトプットの方向をいつも間違えてしまうんだ。

だから、人といると苦しいって思ってしまう瞬間はとても多い。

自分で自分を殺してしまう瞬間がとても苦しかった。

「考えすぎだ」なんて言われる度に自分の感情に嘘をつく瞬間がより一層増えた。

だから、私はどうしても人の輪の中に入るのが苦手だった。

人と話すのは大好きなはずなのに、輪の中に入ってしまうと自分を見失ってしまう事を止められなかった。

私は、人と一緒にいればいる程、孤独を感じてしまうんだ。

これを、欠陥と言わずになんと言えばいいのか分からない。

「こんな私でも、恋愛をする日が来るのだろうか」

多分、これが本当の最初のスタートの私。


多分私は『手の届きそうな、ちょうどいい美人』なんだと思う

突然の爆弾発言をすると、私の容姿は、カテゴリーで言えば『美人』というところに入るのではないかと思う。

それは、よく人に言われるからだ。

こんな事を言うと「いや、お前言うほどじゃないからw」とか「俺は不細工だと思う」などと思う人もいると思うけれど、それは皆さんの感性なので否定する気は毛頭ない。むしろ、その感性を大切にしてほしい。

今は、そういう議論をしたいのではない。

皆さんに強くお伝えしたかったのは、私は絶世の美女ではなくあくまでも『手が届きそうな、ちょうどいい美人』であるという事。

自分の容姿にコンプレックスを抱いていた時期があるくらいなので、私の価値観では別に言うほどの容姿でもない。

ただ、本当に不細工すぎず美人すぎずみたいなちょうどいい感じなんだと思っている。

それは、芸能事務所に所属していたころに『自分は容姿で飯が食べていける程、美人ではない』という事をちゃんと理解している事にある。

マネージャーから「よくその見た目でTVで勝負したいとか思ったよね、君の容姿は金にはならないから」なんて言われながら生きていた。

当時「どうして顔が美しく生まれてこなかったんだろう」と何百回も思ったし、たまに褒められる「可愛いね、美人だね」なんて言葉はどれもこれも嫌味にしか聞こえなかった。

ついに心が歪んだ私は「容姿のせいで仕事が取れないんだ」なんて嘆いた。そんな時期もある。

私は、言うなればクラスで6番目くらいに入る美人。

そんなちょうどいい美人というカードを引いてしまったが故に日常生活の中では嫌な事が多かった。

電車に乗れば痴漢にあうし、都会に出るとナンパされるし、夜道を歩いていると後をつけられるし、学校や職場では頻繁にセクハラに合うし、男性からはよく不倫のお誘いをされるし、飲み会でもすぐ持ち帰ろうという男性に狙われる。

それが日常茶飯事だった。

尊敬していた恩師に押し倒された時には、「男に生まれてきたら良かった」なんて本気で思った。

最近では、Twitterに力を入れているけれども、Facebookを調べ上げられて見知らぬ男からメッセンジャーを使って着信がかかってくるのも気持ち悪い。

この際だからはっきりと言わせてもらうが、私はお前らの性欲処理の為に存在している訳じゃないんだ。

そして、そういったもの1つ1つの出来事がなんだか人として扱われていないようで胸がチクリとした。

「お前なんか、女の部分だけあれば充分だ」と言われているようなそんな感じがどうしてもしてしまう。

これらの行動は、私の事か好きなのではない。

あくまでも、俺でもこのくらいなら手が届くかも?というお得感に近い。

別に女として見られるのが嫌というわけではないけれども、どうしても気持ち悪く感じてしまった。

私は、普段予定がない限りは極力家に引きこもっているのもこれが理由だった。

それがあまりに嫌で『ギャグ系の女』として人々が引いてしまうような事を沢山するようになった。

『手の届きそうなちょうどいい美人』ではなく『ヤバい女』として人々の記憶に残りたかった。

当時、私はよく自己紹介の時に「性別を超えた存在として画一し『男と女とセトセイラ』というポジションをとりたいと思います」と言っていた。

それが、私のタレント活動のベースにあった。

それは、今でも私が強く思っている部分だ。

私はとても拗らせながら生きてきた。


拗らせてしまった結果のモデル活動

よく「私、人が多い所が苦手なんです」なんて話を人にするのだが、実はその理由もここにある。

人が多いところに行くと、声をかけられるのがとても嫌だった。

一時期、声をかけられない工夫としてすっぴんにパジャマという色気ゼロな格好で出歩いてみた事がある。

そうしたら、誰も声をかけてこなかった。

自分の中で『ほっ』とした反面、「あー、やっぱり私は手の届きそうなちょうどいい美人なんだな」という現実が確信に変わってしまった気がした。

「考えすぎじゃない?」なんて声がやっぱり度々聞こえてきそうだけど、それはそういう行為をされても何とも思わない人の発言であると言わせてもらう。

私にとっては不特定多数から『いけそう』と思われている状況はとてもしんどかった。

故に、本当は化粧やファッションなど女を楽しみたいのに、気が引けてしまう。

もちろん、皆さんの頭によぎったであろう問題を先に言っておけば中身にも問題はある。

私の性格はどこか抜けていて、ポンコツ感があるし、友人から「もっと人を疑え!」なんて言われる程には隙があるらしい。

自分に自信がないとまではいかないけれど、隙みたいな空白がどうしても滲み出てしまう。

多分、そんな性格とちょうどいい美人が両方掛け合わさってしまったが故により一層悩んでしまうのであった。

あまりに悩みすぎて、私はある日思い切ってモデルをやってみようという結論に至った。

特別な美人ではないけれど、目の前に直接人がいない『写真』の中なら私は女としての自分を楽しむ事ができるのではないだろうか。

そう思ったのだ。

おしゃれをしてもタイムリーにセクハラに合う事も誘われる事もない。写真の中ならーー。

そして私はモデルになった。

結果は思った通りだった。作品の中でなら私は女を思いっきり楽しむ事ができた。

撮られる事はあまりにも楽しかった。

カメラマンが私を女だと認識してくれてる以上は、私は自信を持って女を楽しめる。

カメラマンが、私を女にしてくれる。

今までは、それで食べていける程の美人ではないからという理由で遠慮していた世界だったけれど、私はモデルという世界に運命的な出会いをしたと思った。

拗らせた結果の、モデル活動だった。

とても自分らしくいられた。


私は自分に興味がない人に、安心感を覚えてしまう

拗らせながら生きてきた私だが、1人の人間としてモテたいという気持ちは強かった。

モテたくて8年間でおむすびを460万個作った経歴があったりする。

なぜおむすびがモテに?という部分に関して簡単に説明すれば、おむすびというポイントにグッとくる人は私と近い感性があると思ったからだ。

誰でも作れるものだからこそ、そこに込められる技術は繊細な人にしか分からないのではないだろうかと思った。

・・・まぁ、19歳の頃の発想なのでこの辺で許してほしい。

私はけして男性嫌いなわけではない。

あくまでも親しくもない関係の人から下心満載に直接迫られるのがとても嫌いなのだ。

私と『一緒にいて楽しい』とか『安心する』とか『気が合う』『楽しい』みたいな友達感覚で私は男性にモテたかったのだ。

だから、付き合ってもいない人に『見た目がタイプです』とか『美人ですよね』などの見た目の話をしてくる男性がは生殖器にしか見えず、怖かった。

モテたいのに、引いちゃうという答えはここにあった。

余談だが世の中の「好かれると引いちゃう」という人はこれに近い感覚があるのではないかと思う。

好かれれば好かれる程、そこに私はいない気がしてしまった。

特にそこに強く思うところがあった私は、自分に対して興味がない人に会うととても大きな安心感を覚えて嬉しかった。

そういう人の前では、私はのびのびと会話を楽しむ事ができた。

でも、そういう人はだいたい恋人には進展しない人だった。

すでにご結婚されていたりとか、友達の恋人とか。もしくは、友達止まりの親友とか。

私はたまにそういう人を本気で好きになってしまって苦しい片想いをした。

私の片想いの相手はいつだって、人のものだった。

でも、このままじゃ駄目だと思ったんだ。

だから私は自分の価値観の外に出てみようと思った。


人を好きになれないという、病

ここまでの私の話を聞いてくれた人は、もしかしたら「人の好き嫌いが多そう」という印象があるかもしれない。

しかし、実際はその逆だった。

親しくない間柄の人に下心を向けられるのが死ぬほど苦手なだけであって、人そのものを嫌いになる事はほとんどなかった。

強いて言うなら、遠くで見ていたいなと思う場合があるくらいだ。

私は、どんな人でも欠陥があると思っているので、それがたまたま目につくところなのか、見えにくいところなのか、容姿なのか、性格なのかというものにすぎないと思っている。

人に対して「この部分は好き」「この部分は苦手」というように部分毎に好き嫌いは感じるが、総合的に嫌い!となるのはあまりなかった。

しかし、反対もまたしかり。

総合的に好き!!となるのも私には難しかった。特に、恋愛的にとなると気が引けてしまう。

恋愛的な好きという感情は『性的な魅力』も必ず入ってくる。

余程好きじゃない限り自分が持たれたくない感情だからこそ、人に対してなかなか生まれにくいのかもしれない。

いや、本当はこれまで色んな事を述べてきたが、シンプルにコントロールのできない感情が私の中を支配するのも、きっと、怖かったんだと思う。

どうしたら、人を恋愛的な意味で好きになれるのかあんまり分からなかった。

過去を振り返ってみると『この人とは絶対に関係が進まない』という前提がないと、私はのびのびと話をする事ができなかった。

「圧倒的に人と会ってる量が足りないのかもしれない」

そう思って、出会いの場に積極的に足を運んでみたりした。

その結果、私は1人の男性に片想いをした。

彼の紡ぐ言葉はあまりも美しくて、私の知らない世界を沢山教えてくれた。

寝ても覚めても彼の事を考えてしまう。

これを恋と言わずになんて言えばいいんだろう。

何度か2人で飲みに行って、本当に楽しくて、ある日私は思い切って告白をしたのだけれど振られてしまった。

それ以来彼との縁はすっぱりと切れた。

告白をした後の彼の態度はとても冷たかった。

きっと、私が散々嫌がっていた『好きでもない人から迫られる気持ち悪さ』というあんな気持ち悪い感情を大好きな彼にも与えてしまったのかもしれない。

そう思うと、たまらなく大きな罪悪感を感じてしまった。

私は、その日から自分で追いかける恋はやめようと思った。


『好きじゃない人』と付き合うのはとても楽

自分なりに色々と飛び込んでみた結果、最終的な結論は『好きじゃなくても付き合える』というところにあった。

嫌い、まで振り切らなければ、案外好きじゃなくてもお付き合いをする事は容易かった。

むしろ、好きじゃない人と付き合うのはとても楽だった。

いちいち心が乱れないので、心はずっと安定している。

本当に冷たい事を言えば、例え彼が浮気をしていたとしても全く気にならなかった(※あくまでも例え話なので、実際にそのような事はない)。

はっきりと自分の意見も常に言えるし、常に冷静な自分が守られているというのはとても楽だった。

ちょうどいい距離感でデートしたり、話したり。

私の満足度は低くない一方で、このような恋愛は駒を進めてみると大体おかしな方向に転がった。

最後の恋の話を例え話に出すと、彼が自殺騒動を繰り返し始めたりした。

私は人に対してそこまで心が動く彼に理解ができなかった。


人を好きになれないという病の果てに

「セイラちゃんはね、多分彼氏に特別感みたいなのが全くないから彼氏さんが壊れちゃうんだと思うよ」

先日、仲のいい方から言われた言葉だった。

私は平和主義だ。

故に、誰に対しても人懐っこいし、よく笑うし、誰かを特別扱いするという感覚がそもそもぴんとこなかった。

しかし、その言葉を言われて思い当たったのは、私はどこかで

「好きじゃない人と付き合うのって楽でいいなぁ」

なんて思っていた。

人をなかなか好きになれなくて苦しんでいた私が出した答えは、相手からしてみたらそれこそ『そこに自分がいない気がする』というものを強く感じとっていたのだと思う。

私はどこかで『女としての自分が相手の期待を裏切るような人間だったら嫌だなぁ』なんて思っていた。

傷付かないように、ずっと、お高くとまっていたんだ。

別に無理に人を好きにならなくてもいいのに。

自分から人を好きになっても、そんな自分を見ないフリして、好かれた人のところに行くようにしていた。

「私、本当は普通の恋愛がしたいし、結婚して子供も欲しいんですよね」

そんな事を言うと、決まって「え、結婚したかったの!?」とか「普通の人はなかなかセイラちゃんは難しいんじゃないか・・・」なんて言われるのだけれども、私は自分の気持ちに素直になる事にした。

「そもそも、普通の男はセイラちゃんのTwitterとか見たら住んでる世界が違うなぁって思うと思うよ〜」

なんて言われたりもするけど、まぁそれはそれでいいかなぁと思う事にした。

活動的に、私が最も苦手なジャンルの人にモテる事は多いけれど、私は私。

自分に嘘をつくから、私は今までの恋愛に事故を多発させていた。

全部、私のせいだ。

私の周りにいる友達は、皆素敵な人ばかりで、皆尊敬している。

だから、恋愛もちゃんと逃げずに頑張ってみようって思ったんだ。

人を好きになれないなら、なれないなりのやり方はきっとあるんだと思うから。


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