アジアフューチャリズム?

アフロフューチャリズムがブラックパンサーの成功などで台頭し、それに伴う様々な文章や作品を鑑賞した上で、これはアジア人にも用いることができるのではないか?と思う。アフロフューチャリズムが掲げるouter spaceから来た人々という意識や、alianation的な考え方はアジアの人々にも共通するところがあるのではないのだろうか。

最近twitterで見た動画がずっと頭に残っている。アメリカに旅行に来た女性二人組に向かって話しかける白人男性の動画撮影者が、彼女たちと他愛ない会話をしたのち、「あいつらニコニコしてただ頷くだけ、NPCみたいだ」と。
NPCというのはNon Player Characterの略で、ゲームの中で登場するような操作できないキャラクターのことで、プログラムされた行動のみ行う。
ただ一つの動画ではあるが、なんとなくアメリカにおけるアジア、日本人のstereotypeを感じられる。

実際、ハリウッドなどの欧米芸術産業において、アジア人がロボット的な役柄をすることは多い。近年では問題となり、多少減ってはいるもののその概念は姿を変えて存在していると言っていいだろう。例えば、2023年公開の「ザ・クリエイター」では、近未来におけるAIと欧米諸国の戦争が起こり、AIの追放を欧米の国々が行う中、アジアの国々はAIを受け入れ、ニューアジアとして欧米諸国の敵として描かれる。

また、「AKIRA」など日本のアニメや漫画における影響も少なくない。サイバーパンク的な世界観において、アジア系の人々が登場することが多い。例に出すと、「サイバーパンク2077」では、ナイトシティという街の中で一番高いビルを持つアラサカ社は、日系の会社になっており、ストーリーとも大きく関連する。フューチャリズムの中にアジア人が存在するという意識は、かえってアジア人よりも強いのかもしれない。

このアジア人=ロボットや無感情というようなステレオタイプは、欧米におけるエスノセントリズム(自文化中心主義)や、オリエンタリズムの変化系とも言えるだろう。この意識こそ、我々アジア人がカウンターとして用いるべきものであるのではないのだろうか。アジア系アメリカ人であるコゴナダ監督が描いた「afteryang」の世界はその道を切り開いているように感じる。


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