「任意の五」解題

明日7月13日に大阪へいきます。イベントに出ます。

『庄野潤三「五人の男」オマージュアンソロジー 任意の五』(オカワダアキナ編)に「まんまるくてかわいいおばけ」という作品で参加しまして、その縁あって、刊行記念イベントとして本屋「犬と街灯」さんで開催される「任意のリーディングパーティー」に出ることになりました。何人かの寄稿者が集い、作品にまつわるトークや朗読などを予定しています。席数の都合上ご予約をお願いしていますので興味ある方はご一報ください。

 私の作品についてしゃべる時間もあるので、そのタインミングで「こういうことを思って書いたよ」やら「こういう思いがあったよ」など触れられたらいいなと考えていたんですが、先日バゴプラさん主催のワークショップ「自分で本を『組んで』みよう レイアウト/文字/素材の基本」で講師をつとめた際うまくしゃべったり説明ができなくて反省しているところなので、メモ代わりにいろいろ書いてから臨もうかなと思います。解題などは普段しないためどこまで手つきを見せるべきなのかわかってないのでとりあえずズババと書きます。ちなみに先述のワークショップはまだアーカイブも販売しています。参加者にお渡しする資料はかなりちゃんと作ったので、たとえ私のしゃべりが拙くても、お手元にある資料があなたの本作りの行先を照らすはずです、たぶん。


拙作「まんまるくてかわいいおばけ」には明かされて困る核心や構造などはまったくないつもりなんですが、書き手の発言はどうしたって読み手を強力にコントロールしてしまうので、まっさらな状態で読みたい方がいらっしゃったら読んだあとに戻ってきてもらえると嬉しいです。





庄野潤三「五人の男」は1958年発表の作品で、語り手の男がこれまでに出会った印象的な五人の男について語ったスケッチ的な短編。戦争・戦後の影が随所に伸びている。語られるエピソードは長短はあれど並列。

1.隣家に下宿している祈る男
2.バスで乗り合わせたカップルの若い男
3.父の友人で話好きのD氏
4.父の親しい友人で元教え子のN氏
5.狩猟専門の雑誌で見たガラガラヘビに自分の手を噛ませる実験をした男

オマージュするにあたって核として考えたのは、語り手による、五人それぞれに対してのエピソード、そして、1.隣の家に住む祈る男のなかで「私」が祈る男に対して思う「私が不思議に思うのは、彼があのひと間に家族もなしに暮していながら、少しも哀れげに見えないことだ」の一文。2〜5に語られる男たちは(戦後という時代もあいまって)家族、家庭を支えていかなければならないという家父長的な重圧感が強くにじんでおり、そういう対象がいること自体が彼らの輪郭につながっていると考えた。そういう意味で(「私」が語るなかでは)1の男だけが違っている。はじめに祈りが底を流れ、そのうえに他4編がのっている。同じ構図は無理かもしないが通底するなにかを持たせたいとは思った。あと、私が、いわゆる「強い」男性をあまり書かないのでふだんの持ち味を出せば自然と転がってくれるだろうなとも思った。


「まんまるくてかわいいおばけ」は主人公の絹彦が自分自身を含めた五人を語る連作短編。「いなくなってしまった男たち」が全体のテーマとしてあり、抑えたトーンで他の男たちを語り終えたあとで主人公が自らについてズババと吐露するという形は最初の時点から考えていた。

1.斜向かいのお兄さん
3番目に書きはじめた。身内じゃない男を書くべきだと思ったのと、これからの主人公(絹彦)にも起こるかもしれない未来のひとつとして示したかった。絹彦が大学で文学部を選んだのはたぶんお兄さんの影響だと思う。絹彦14歳、回想しているのは22歳以上。

2.祖父
最初に書きはじめた。オカワダさんからお誘いがきたとき私が五人書くならぜったい祖父をベースにした男は出したいと思っていたから。結局、実際の祖父のエピソードはほとんど削ってしまったが(残ったのは「僕をひざに乗せて、たばこを吸って祖母に怒られていたことを思い出す。」という文章のみ)。冒頭のサイレンは阪神淡路のことを思いながら書いたが、知らないうちに東日本大震災に引っ張られている。絹彦18歳。

3.姉の夫
4番目に書きはじめた。父親にもっと強権的なふるいをさせるか最後まで迷ったし、章としてもいちばんどう書けばいいか悩みが多かった。それはたぶん作者である私が(思考自体は5.絹彦だけど客観的に見たらたぶん父にも姉の夫にも)かなり反映されているからで、照れやためらいがもっともあった。数学を教えていたのは1.斜向かいのお兄さんだったらいいなと思っている。絹彦20-21歳。

4.従兄
2番目に書きはじめた。内容も文量もいちばん重量があって、読んでいただいた方々からは「この話が軸でしょ!」と指摘されることが多い。もっとも書きたかったのは2.祖父だが、単体の物語として成立しているのはこれだし全体の指針となったのは本作。虎のモチーフをとにかく書きたい時期で(いまなお継続中)、たんにホワイトタイガーに会いにいった思い出を滔々と語られるという内容だったが、1200字くらい書いたところで冒頭の「七つのときからあらゆる公共の交通機関を使えなかった。」を思いつき「会うことのなかった従兄」を思いつき、書いたほとんどを消して、私の五編は「いなくなってしまった男たち」を軸に扱うことに決めた。4だけ書き方が重いのは僕が観察して語っているわけではなく、あくまで「いちばん上の伯父」が語って聞かせていることを語り直しているという構図だから。しゃべっているのは地元の香川の方言。しろとり動物園にはいまもホワイトタイガーがいる。絹彦21歳。

5.絹彦
最後に書き終えた。私自身がいいたいことはだいたいこれ。それまではずっと事実を語ることだけに尽くして、最後に抑えていた思考や自意識を解放して終わりたかった。「五人の男」が祈りのうえにのっている作品群なら、直接的な「死」という言葉を用いて、最後にやってきた不在・喪失が4編のうえを流れてゆく作品群にしようと思った。「まんまるくてかわいいおばけ」は私がいつも創作するときに使っている仮タイトルみたいなもので、いつもそぐわなくなって改題してしまうが今回はかなりはまっていたのでそのまま使った。絹彦22歳。

年齢を書いているとおり、ひとりが五人を語るとしたら、それは語り手がどのタイミングで聞いたのか考えながら書いていたのでその順番で並べることにした。2.祖父で「アイスがおいしいおすし屋さん」は3.姉の夫で「家族でいったおすし屋さん」で、五人兄弟の末っ子だった父の年齢を逆算したら4.従兄でいちばん上の伯父は瀬戸大橋が架かる前に15歳の子どもがいてもおかしくなくて、という前の章で語ったなんらかが次に出てくる連作にしている。2-4までは締めの文を「言わなかった/言った/言うたんや」にしている。1と5は直接的なつながりを作っていない。5.絹彦は4編のうえに流れると書いたが、結局1の最後にくる「泣いてしまいたかったんだといまならわかる」は絹彦の章以降(物語の外)を想定して書いていて、でもべつにそこに対して具体的な年数などは書いていないので「いまっていつだよ!」という問いに作中で明確な答えは出していない、が、私としては…という。


うーーーーん、自分の作品を解題するのってむずかしいな。長々書きましたが、べつにどう読まれたってかまわないのでどうか好き好きに読んでください。私も参加する「任意のリーディングパーティー」はX(Twitter)のスペースでも配信する予定なので、現地にはいけないけど気にはなる!という方はぜひ。

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