これだけは伝えたいこと
みなさん、こんにちわ!
一体、急にどうしたかと思われるかもしれないですが、なにかあったわけではないので安心してください!!
一昨日くらいに、ふいにここ数年思っていることを思い出して、他の人に伝えたいな~とこの記事を書いています。
これは私なりに、生きていく上で覚えておいてほしいことです。特に若い人に。
私も若い方なので「何言ってんだ」って感じなんですが、本当に覚えておいてほしい。心の片隅に、置いておいてほしいことです。
私は数年前に思って、それからとても大事にしています。今も結構意識していることなので、よかったらお付き合いください。
その1 「見た目と能力で、人を判断しない」
この世界にはいろんな人がいます。
それは当たり前のことじゃないかと言われるかもしれませんが、あなたが思っている以上にいろんな人がいます。
「十人十色」と言う通りのことです。
人は、基本的にどんな人か判断するときに二つの要素から導きだします。
1. 見た目(容姿・格好)
2. 能力(身体能力・思考力など)
この二つの要素が優れているか・劣っているかで、どんな人間かを判断し、接し方を決めるのです。
人には、優れていることと劣っていること、どちらもあります。それは当然のことです。
しかし、残念なことに劣っていることが多い人もいます。そんな人を他の人は「この人はどうしようもない人間だ」と判断して、雑な扱いや傷つけるような言葉を吐きます。
それはいけないことです。ただ、私が言いたいのはそこではなく、「何故、そうなのか」を考えていないことが問題なのです。
人の個性も、人生も十人十色。人間、ひとり一人がいろんなことを経験して今まで生きています。
その過程で、経験できなかったこと。反対に、経験したことによって、何かができなくなってしまったことが現実にはあるのです。
例えば、学校へ通うことができずに大人になってしまった。なので、簡単な計算すらできずに育ってしまった。
または、些細なことで怒られてしまった経験があり、自分の意見を言うのに戸惑うことなど。
見た目に関しては、病気の影響や意思を無視されてつけられたものなどがあります。
よく日本人が気にするのは、日本では悪いイメージがついているタトゥー(入れ墨)。外国では寛容なタトゥーですが、火傷の痕などを隠すためにタトゥーをされている方もいらっしゃると知って驚きました。
私のタトゥーに対する感覚は、「怖い人みたいで嫌」ではなく、いくら望んでやるとはいえ「専用の刃物で、体に傷をつけて入れたんだろうな」と想像してしまうので苦手です。その人が怖いのではなく、入れられた光景を想像してしまって怖いです。
文化の違いは仕方のないことですが、お互い配慮できるのがもっとも重要ですね。片方だけだと、不満が大きくなっていきますから。
劣っていることに対して、何故なのか一度想像してみてほしいと言いましたが、特に能力についてはできるだけ改善していくのがいいです。でも、それでも上手くいかないこともあるのです。
それに、できない人がいるのなら、できる貴方がサポートすればいい話です。
だから、できないことを頭ごなしに否定するのは消極的であってほしいのです。
その2 「常識が存在すると思わないこと」
社会人になるとよく言われる「常識」というもの。
耳にタコができるくらい聞かされたことでしょうが、私は常識はこの世に存在していないと思っています。
なぜなら、みなさんが言われる常識は常識ではないからです。
とある方に今回のテーマについて話してみたときに言われたことが印象に残ってます。詳しい内容は覚えていませんが、こんな感じだったと思います。
「確かに朝御飯を食べるにも、主食はご飯の人もいるし、パンを食べる人もいますもんね」
普段の生活の様子を細かく尋ねてみると、その人にとっては当たり前の行動があったりしますよね?
それってもう極論、常識というか「普通」に当てはまらないものもあると思うんですよ。
「なにそれ? ちょっとよくわからないわ」って。独特すぎて。
しかし、誰も咎めたりはしません。何故なら、「そういう違いはあるだろう」とわかっているからです。
なら、何故、私生活以外の常識ではないことは批判されるのでしょうか?
常識や普通、「一般的」はもちろん必要なことではありますが、あくまでも「基準」として用いるもので、絶対的なものではないのです。
人間は基準がないと、判断するのにとても手間をかけてしまいます。なので、常識や普通という言葉で括りました。
しかし、普通に当てはまらない人なんて、いくらでもいます。
普通じゃないのが、普通なんです。それが、当たり前なのです。
だって、ひとり一人が全然違う個性をもって生きているんですから。別に、普通になりたくなくてならないのではないです。
たまたま生まれ持った特性が、他の人とは違っただけなのですから。
ただの違いだけでしかないのに、少数派が偶然できた多数派に批判されるのはおかしいです。
それに、常識とはなんでしょうか?
「一般的なマナー」とか「同じ社会に生きる人間として必要な心構え」だとか、教科書には書いてあると思います。
では、それ以外の言葉で、具体的な規定・条件を示して説明できますか?
はっきり言って、誰もできないと思います。それが正しかったとしても、絶対に不完全なものです。
常識って、失礼のないようにするべきことですよね?
いろんな人がいろんな個性、強み、弱味をもって生きているなかで、誰にも失礼なく振る舞うことはできるのでしょうか。
誰に対しても優しく、傷つけないような言動が、常識はできるのでしょうか。
それを、5つくらいの条件でまとめられるんでしょうか?
昔話をすると、幼い頃の私は、誰よりも常識や普通にこだわっていた方の人間でした。私はあまり判断能力がなかったので、どう判断したらいいのかわからなくなることが多かったからだと思います。
加えて、真面目な性格なので、特にこだわっていました。ルールはほぼ絶対だと思っていました。
でも、自分自身の経験や成長と共にいろんな人に出会うと、本当に知らないことばかりで、常識なんて本当に当てにならないことばかりでした。
例をあげれば切りがないし、ありすぎて逆に思い付かないので割愛しますが、本当に常識って、使えないって思ってしまった。例外が多すぎる。
あの日々は、ほぼ毎日常識が覆られて、新しい知識を得ていた感覚でした。
「ああ、そうなのか」って。
なので、考えることも大事ですが、知ることも重視してほしいです。しかし、そういう機会はなかなかないので、きちんと学校で教えるべきだと思います。
まとめ
本当に長々と熱く語ってしまいましたが、私の想いがきちんと伝わっているといいんですが……。もしかしたら捉えようによって、おかしなことになっているかもしれません。申し訳ないです。
最後に私の伝えたいことをまとめると、
何か一つだけで人を判断せずに、柔軟にその人のことを見てほしい。考えてみてほしい。
その人は、貴方とは違った人生を歩んでます。その時点で、貴方の中の常識は通用しないと思ってください。普通もなにもありません。決めつけることはせず、向き合ってください。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
こういう文章を書くのが通常ではないので、ご安心ください。しかし、もしかしたらまた書くかもしれません。
そのときは、寛容な心で目を通してくださるよう、お願いします。
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