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1930年代 東北の農村の窮乏


1.冷害と凶作

2023年、日本列島は記録的な猛暑だった。特に、6〜8月の全国の平均気温は、1898年の統計開始以降最高を記録した。
岩手県もとても暑い夏だった。盛岡市では連続真夏日が42日間続いた。また、釜石市では、9月18日に全国トップの36.4℃を記録した。
近年は平均気温そのものが上昇しているので、暑くなる一方である。しかし、過去に目を向けてみると、暑い夏もあれば寒い夏もある。2023年、没後90年を迎えた宮沢賢治を起点に1930年代の冷夏、東北の農村の窮乏について話を進める。

サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

『雨ニモマケズ』宮沢賢治

宮沢賢治の代表作『雨ニモマケズ』の一節には、「サムサノナツハオロオロアルキ」という一節がある。『雨ニモマケズ』は、1931年ごろの作と言われている。そこで、調べてみると1931年の東北・北海道は実際に冷夏だった。しかも、1931年に限らず、1930年代の東北・北海道は断続的に冷夏に見舞われていたことが分かった。
この冷夏によって、東北・北海道は大凶作を被った。下図は、特に被害の大きかった1934年の岩手県の農作物の減収割合を示している。

この年は、やませ(6月〜8月ごろ、北海道、東北、関東などで吹く北東の風。親潮の上を吹いてくるので、冷たく湿った風となり、冷害をもたらすことがある)が東北・北海道を襲い、梅雨のような気圧配置が継続した影響で著しい冷夏を記録した。下図は、盛岡市の8月の日平均気温の推移である。これを見ると、1934年の8月は極端に気温が低かったことが分かる。近年の例をあげると、「平成の米騒動」で知られる1993年8月も気温が低かった。

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