「チョガッポ」のはなし
以前に、ポジャギについてのお話をした中で「チョガッポ」について触れたのですが覚えていらっしゃいますか?
その「チョガッポ」について、もう少しお話しようかと思います。
2014年に、ソウルにあった韓国刺繍博物館を訪れた際に図録を購入しました。
韓国刺繍博物館主催の作品展の図録だったのですが、その中にに書いてあった 許東華(ホ ドンファ)館長の文章に、”へ~!”って思ったことがあったのでご紹介します。
(※2018年に許東華館長が亡くなられ、今は韓国刺繍博物館は閉館になりました。)
チョガッポの中には使用された痕跡が全くないものも多い。
今すぐ使わないチョガッポを真心を込めて作った理由は何か。
確かに、実用品であるはずのポジャギなのに、刺繍博物館で見た許東華館長のコレクションであるアンティークのチョガッポは綺麗なものが多い。
端布を縫い合わせる作業には根気がいる。
昔から、真心を込めた対象は福をもたらすと信じられていたため、チョガッポは福を呼ぶ媒体と思われた。
そして褓を作る時、端布を一枚一枚繋ぐことには長寿への願いが込められている。
祈福信仰的要因もあってチョガッポが発達したお話は前回も少し書きましたね。端布を繋ぐことで、幸せや長寿を願うのです。
そしてこのあと。
また、モシチョガッポの粗い布の穴は悪鬼(邪気)を防ぐ網の役割を果たすと信じられ、厄払いのためにチョガッポを壁にかけて飾ったりした。
へ~!
チョガッポが網なんですね!
悪鬼を捕まえていてくれたんですね!
と、読んだ時に思った、ということを書きたかった。笑
だけどこれで納得がいくことがひとつありました。
ポジャギの四隅についている紐です。
この紐は物を包む時に結ぶためについているのですが、そういう実用的なことではなく「紐から邪気を逃して福を取り入れる」という意味もあります。
でもどうして、福を包むポジャギから邪気が出るのだろう?と思っていたんですが、飾っているうちに網に引っかかった邪気を四隅の紐から逃すのだとすれば納得がいきませんか?
なんだかバリアみたいですよね。
これ、私が勝手にそう思った、というお話ですが。
今度、私の先生に会う時に聞いてみようかと思います。
チョガッポを作った理由には、作業自体の楽しさも欠かせない。
チョガッポを作る間、芸術家が作品を制作する時に感じる没我の喜悦を経験したはずである。
このような純粋な創作の喜びは、当時の閉鎖的な社会において女性が受ける抑圧感をいくらかでも解放させたのだろう。
李氏朝鮮時代から生活に根付いている儒教の思想は、女性にはとても窮屈なものだったでしょう。自由に外出することも、勉強することも出来なかったのですから。
チョガッポは自由で構成美にすぐれています。
昔の女性たちは、どこにも表現出来ない自分の感性を目一杯チョガッポに表したのでしょうね。
小さな端布を一枚一枚つなぎ合わせて自分を表現するチョガッポは、昔の女性たちに与えたのと同じように、今の私たちにも心の安定を与えてくれている気がします。
今回引用した韓国刺繍博物館の 許東華(ホ ドンファ)館長の文章が日本語で読める本もあります。
だけどもう売ってないのかな?
許東華館長が監修されて、ポジャギの第一人者 金賢姫(キムヒョニ)先生の作品が紹介されています。作り方も載っています。
私はこれとは別の金賢姫先生の本をポジャギを始めて以来ずっとお手本にしていますが、デザインや色はもちろん縫い目がとても綺麗で、眺めているだけで、もっとちゃんとやろうって背筋が伸びます^^
教室に通われている方は先生が持っていらっしゃれば是非見せてもらってください。長くポジャギをされている方でしたらお持ちの方も多いと思います。
ついつい、作り方ばかりを一生懸命見てしまいがちですが、ポジャギについてのお話も読んでみると、色々と納得できる事柄がでてきて面白いです。
見ていただいて、ありがとうございます!