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"人間活動"見直しの時

人間の文明が発展していくほどに地球への負荷が掛かる。

産業・経済
人間が生活をしていく上で利便性や生産性を上げることに注力をし続けている。
人間は「上げる」ことに重きを置き過ぎている。
過剰・過多に振り切って、偏っている。

"何かをたくさん産み出すこと"
"必要・不要に関係なく作り続けること"
"需要を無理に作りだそうとすること"
"絶え間なく供給し続けること"
"成績を上げ続けること"
"利益を上げ続けること"

挙げ続けるとキリがないが、
上記ようなことが不変の価値観となっているように思う。

"不足することへの恐れ"
"「とりあえず」作り続けたらいい"
"本来は不要なことに「必要」と促す"
"絶え間なく供給されることに慣れ過ぎた消費者"
"成績を上げ続けなければ「成長」にならないという思い込み"
"バリエーションを増やすこと・多いことを「良」とする考え"

一部だが、このような考えや価値観が人間の意識の根底にあると思っている。

「今までそうだったから」
「今までそうしてきたから」

「だから、変える必要がない」という声が聞こえてきそうなことは安易に想像できる。

果たしてそうだろうか。
今までが「そうだったから」
変えなくていい理由になるのだろうか。

わたしは「そうは思わない」


断捨離ブームが起こり、ミニマリスト・ゆるミニマリストなどのインフルエンサーたちが見られてくるようになって随分と経つ。

自分たちの持ち物を再確認して、必要なのか・不要なのかを見定めること。
それは、物を持ち過ぎた今の人間たちに最も必要な行動や考えや価値観だと思う。

「わたし」という最小単位から
持ち物の見直し
生活の見直し
選択の見直し
それらをしていくことが今後必要になっていくと思う。

それが徐々に
家族
友人
社会(学校・会社など)

世界
地球
と広がりを見せていく

ミクロからマクロへ
最小単位から最大単位までの広がりとなっていく

自分にとって、身近な所から変化を起こしていかないと、広がることは、ほぼない

生活していく中で"これ"は本当に"必要"なのか?

と、疑問を持つ思考を持っていただきたい。
疑問を持つことを"当たり前の感覚"にしていただきたい。
この感覚を養っていただきたい。

「ある」ことが当たり前の感覚
鵜呑みにし過ぎてはいないか?

現代の人間は
物があることが当たり前になっている。

物がたくさんあることが当たり前
物がたくさんあることが便利
物をたくさん持っていなければいけない
物をたくさん持っていることが幸せ
流行に乗っていないといけない
流行りの物を持っていないと乗り遅れる

本当にそうなのだろうか。

それは単なる思い込みなのでは?

物がたくさんあると生活しやすいか?
たくさんある物を場所を決めて片付けることばかりに意識や時間や体力を使ってはいないか?
便利なその物は、本当に便利といえる状態で使えているか?
物を買って、手に入れて、それで満足しているのではないか?
TPOで使い分ける為に持っている服や装飾品は本当に必要かつ使っているのか?
"これ"をするには、"これ"がないといけない。本当にそうだろうか?
毎月、支払い続けている料金は適正な価格なのか?
毎日、使い続けているサブスクは本当に必要なのか?
大量にストックすることが必要なのか?

いつか使う、の「いつか」は、いつなのか?
その日はやってくるのか?

このように、今、手元にある物を見つめて
考えてみてほしい

そして
いる・いらないと分けてみて

いらないものは
断捨離というように、すぐに捨てるもよし
リユースするもよし
リサイクルするもよし

いらないものを手放すときに
「捨てる」以外の方法を実際にやってみてほしい

売るときは
フリマアプリで出品する
リアルなフリーマーケットで出店する
リサイクルショップに持っていく
買い取り業者に依頼する

捨てるときは
ごみ袋に分別をして捨てる
大型な物や家具なら、予約をしてから所定の日にちに、所定の場所へ持っていき捨てる

持っていくにしても、送るにしても、売るにしても、捨てるにしても、この行動はいかに労力を必要とするのかを実感してほしい

手に入れる・買うことは容易い
かんたんで、スピーディーで、ラクにできる

それよりも捨てること・手放すことが、いかに労力を必要とするのかを実感してほしい

このような大変さ・面倒さを実感してほしい
「ああ〜面倒くさいな〜」
「お金も時間もかかるな〜」
「時間や手間がかかる割に、手に入るお金は少ないな〜」
などと思うはず

これを実感し、わかったのであれば
買い物に行ったときに
「これ、本当にいる?」
「これ、いつ使う?」
と考えるようになる

手放す・捨てることの労力や、しんどさ、かける時間と

今すぐ手に入って、いつ(いつか)使うか

これらを、自分の選択基準の天秤にかけて考えてほしい

ここで重要なのが
じぶんの選択基準を持つこと
誰かが作った選択基準に合わせないこと

誰かの、いる・いらない、ではなく
じぶんの、いる・いらないに合わせること

そうして
自分の快・不快の感覚を感じてみてほしい
知ってほしい

意識的な買い物(欲しいと思って買う)
無意識的な買い物(あまり考えないで買う)

買い物をすること
消費をすること
これらについて意識すること・習慣的に考えることをしてほしい
続けて考えているうちに
本当に必要な物だけが、あなたの周りを満たすことになる

物の量で満たすのではなく
物の「良」と「適正量」で満たす

必要なものが、必要な量だけあり
なくていい物は、なくていい状態になる

そして、これは買い物だけのことではない
いつも使うツール
いつも使う交通手段
いつも食べるもの
いつも観ているもの
いつも聴いているもの

さまざまな、もの・ことも同じように考えることができる

本当に必要なものを
必要な量だけを買う・手に入れるをしていくと
利用者・消費者の需要がわかり(何を必要とし、欲しているか)
適正な供給量(必要としている最適量)がわかる

インターネットやプログラミング、アルゴリズム等が発展・発達している現代ならば、このようなデータの収集・解析・分析をし、需要と供給の適正化・最適化を測ることは容易だと考える
そして、生産側に立つ人間は分析結果を元に、必要な量だけを生産し、必要としている場所に、必要な量だけ供給する(オーバーストックを持たない)

物も流通も適正量で行う・運営する・回していくことをすれば、過剰生産・過剰供給・過剰摂取をしなくなっていくし、できなくなっていく

消費者する人間は、物を選ぶこと・買うことを「投票」することと同じと思って選択・行動できるようになるし、それを当たり前の行動として行っていくようになる
そのような生産・供給システムの開発と構築をしてほしいと願う

過剰に作って、過剰に供給して、過剰に余らせて、過剰に捨てることをやめること

食品も服も住居も
インフラも車も道路も
会社も組織も
人間が生活をしていく中で関係している
ありとあらゆるすべてのもの・こと

すべてを最適量に最適化すると
物の価格は変動することはなく
適正な一定価格になる
そうすれば「高い・安い」という基準で物の選択や消費をしなくなる

「高い」から買えない
食べられるのに、買われない、余り、食べられる期限が過ぎ食べられない状態になり、捨てる
このような廃棄はなくなっていく
食品だけではなく他のものも同様だ

作るものや運ぶものが最適量になれば、それを動かす人も最適量になる
人手不足は解消される

そもそも人手が不足しているのではない
あらゆるものが過剰過ぎるのだ

なにも、新しいものを作るなとは言っていない
でも作り出す前に「今あるもの」に目を向けてほしい
「いらないもの」を新しく作る必要はない

今こそ「足るを知る」時だ


そして、余白ができる
物がない空間が「ある」状態になる

「ある」と「ない」のちょうどいいところ
「ある」と「ない」のバランス
「ある」と「ない」の快適な状態

その感覚は
自分の快な感覚と、快適な状態を作り出すことになる

本当に豊かな暮らし・豊かな生き方は
このような選択をし続けていくことだと思う



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