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何を選ぶのかということの本当の意味

2、3ヶ月の間に色々なことがあり、その一つ一つが私にとってとてもインパクトのある体験で、その度に何かを感じたり、考えるともなく考えたりしてきました。
そして先々週のある出来事から、全てなるようになる。なるようにしかならない。
人間もその他の生物も物も、全て、個々の在るように在り、なるようになるのだな、と何に対してなのか完敗の気分になりました。

ここ数年、次元が変わる、風の時代、二極化、その人が何を選択しているか、などの言葉を度々耳にしてきました。
私自身は、それらの意味についてなんとなく雰囲気は掴んでいましたが、漠然としていて抽象的で、正直よくわかりませんでした。

ただ、今回、「何を選択するのか」というのは、頭で何を考えいるのかや、どう発言しているか、どうしたいのかではなく、その人の深層の本音が何を選び〝どう決めているのか〟なのではないかと思いました。
本人が自覚しているしていないに関係なく。

何を選択していてもいい。それぞれの自由。
ということも、本当にそうなのだなぁと腑に落ちました。
こっちを選ばないと困る、ということはない。どちらでもいい。
選んだまま、なるようになるから。

ただこの選択は本人にしかできない。自分の分しかできない。
説得して誰かの選択に干渉することはできない。

誰もが自分を生きることしかできないんですよね。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今日も幸せな一日でありますように。


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