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「まず自分」の本当の意味

純粋な自分のど真ん中を生きるとか、自分を大切にするというのは、自分の事だけしか考えないという意味ではないし、自分だけがよければいいということでもない。

〝素〟の自分の本音に繋がって生きる。
自分そのもの、自分オリジナル、純粋な自分
だけが何なのかを知っている、周りや社会の言葉や考えに侵されていないもの。
その人の根源から流れ出るもの。そこに繋がっているもの。
それの流れを生きる。

その上で、周囲の言葉に、要望に耳を傾けてみる。そして、素の自分自身だけに問い、どうするかを選ぶ。
良い悪いではなく、正しいか正しくないかでもなく、どうなるのが自分にとって自然か。無理なく、違和感なく、気持ち良く流れ続けるか。(純粋な良心や善意はここにあると思う)
その繰り返し。
そこからどれだけブレないか、自分を濁らせないかがキモだと思う。本当に大事だと思う。

それは大きなものの流れと乖離しない。
だから人に喜ばれたり世の中の役に立ったりする。意識しなくてもそうなる。
常識とか秩序とか、心配しなくていい。
なぜなら、純粋など真ん中の自分は、純粋な善な全体の一部だからだ。

自分でないものに流されて、
自分でないものの流れに飲み込まれない。
意識やあり様の部分で。
物理的な面、行動や行いはそれについてくる。

素の自分以外のものの
他の何か誰かの都合で生きなくていい。そこは迷宮の入り口だ。

自分を大切にしていて、自分の真ん中と繋がって生きていれば、他者を自己の流れに引っ張り込み、巻き込もうとはしない。
自分を大切にしている生き方の人は、他者のそのままを普通に尊重している。
肯定的な意味で(他者を変えることに)興味がないのかもしれない。
興味がなくて、優しいし温かい。
無関心とはまた違う。

生まれてから成長する過程で、もともといた(自分の)ど真ん中から離れて、もちろんそんな事は本人も知らないけれど、離れた分だけ息苦しくなっていくのだと思う。

自分の中に感じる痛みや苦しさは 、自分が持っている〝今〟の自己認識と、素の自分、真ん中の自分との距離の大きさかもしれない。
(その自己認識はどこから来たの?  ということだけれど)

痛みは宝物の在処を教えてくれている。
全部、自分の内側にある。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。









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