母との関係(2)〜つきものが剥がれた〜
前回母のところを訪れてから悶々としていた。
もう体が重くて重くて内側がサワサワして、私の中で何かがずっと振動し続けているようで落ち着かなくて気持ちが悪かった。
その間、色々と気づきもあったりしたけれど、それもサワサワするものを落ち着かせる助けにはならず。
今朝のことだが、用事で外に出て歩き始めて暫くすると、ある思いが頭の中に降ってきた。
閃きというより、
「私はこうなんだ」
という、私にとっては確定していること、事実みたいなものが落ちてきた。
実は、私はずっとその「私はこうなんだ」と思うことを遠慮してきていた。
それを思う自分を、自分自身に許さなかった。
怖かった。
でも、「私は日本人です」と同じトーンでそれは降ってきて、
「そうだよ、私はそうなんだよね」
とあっさり受け入れてしまった。
「そうなんだよねー。そうです」
と、はっきりとより強く、その思いが前に押し出されてきた。
降参したのか、抵抗をやめたのか、なんの躊躇いもなく受け入れていた。
そしたら、私の中のある部分がもの凄く喜んでいて、なんだかピョンピョン跳ねているような感覚が伝わってきてビックリした。そんなに嬉しいことだった?!
ぎりぎりサイズのケージの中に入れられていた子犬が外に出してもらって、取り敢えず跳ね回っているみたいな感じだなって思った。
そうなのかぁ。そうなんだねぇ。
と思いつつ、でもさ、と一言言いたい私も出てきた。
そういうのも含めて、まとめて全部認めて、それでいいって自分自身に許した。なぜか許せた。
その後用事を済ませて帰途についた時に、内側でのサワサワの振動が止まっていることに気づくまで少し時間がかかった。
あれ? おや?
内側が静かになっている。体も軽くなっている。気持ちもすっかり軽い。
何をどう思ったとしても、どう納得させようとしても、自分のことは自分が知っている。ごまかしはきかないという体験だった。
いいも悪いも、正解も不正解もない。
私の中で起こることは、私にとっては全部が事実だ。認めて受け入れる部分を選ぶことは出来ない。平等でないと私の中の私が納得しないのだ。
自分を大切にするんだよね。
と、こういう風に突きつけてくることもあるんだね。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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