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静かな日常
他人は他人というよりも「人は幸せの感じ方が違う」と思っておく方がしっくりくるし平和的なのではと思う。
自由に選択できる場合、何がその人にとって幸せなのかという基準で動いている、と。
たとえば不平不満を笑い話にするか強めた愚痴をこぼすか、チームを引っ張るときにボス的思考なのかリーダー的思考なのか、はしゃぐのか静かに噛みしめるのか、バイオリズムも然り。
世界はひとつと言いながらも様々なことが違う、正解不正解ではなくて「違いがある」というのをこの半年程で目の当たりにてきた(そして今もそれは続いている)。
だから、その違いが「幸せ」基準なのだと受け入れればある程度のことはまぁそんなものかと納得できるし、自らを歪曲させることもなくズルズルと引きずり時間を無下にすることもない。もちろん科学的根拠、残虐なことは除く。
心穏やかで静かな日常にできてそれが続くといいな。
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