生還

誕生日の自殺率は1.5倍に跳ね上がるらしい。
かくいう私も誕生日に投身自殺未遂で現在も治療中なので、これは納得がいく。

人を追い詰めるのは悲しみや苦しみではなくて孤独だと思う。実際の状況はどうであれ、この世界に自分たった一人しかいない、味方どころか敵もいない、自分を自分として認識する者が存在しないという孤独感が衝動的な行動を呼ぶ。

よく「投身自殺は落下と同時に意識を失うから苦痛がない」と言われるが、マンションの六階程度の高さからだと、身体が叩きつけられる瞬間まではしっかりと意識はある。落下してる最中は恐怖はなく「下を確認しただろうか」と外出時の戸締まり確認の懸念のようなことを思っていた気がする。因みに落下中は何故か空が見えた。

腰から自転車置き場の屋根に落下し、弾みで植え込みに身体が投げ出されたお陰で驚くほどの軽傷だった。上半身はほぼ無傷で腰と大腿骨頸部骨折、両足の骨折で全治半年だと診断され、約二ヶ月の入院となった。現在は退院してリハビリと非常勤での仕事をしている。

傷の痛みも然ることながら、そのときに発症した解離性障害とその人格による希死念慮には未だに悩まされるが、こちらは主人格を安定させ、カウンセリングと投薬で他人格を抑える治療は続いている。これも協力して下さった皆さんのおかげなので、この恩を決して忘れずに生きていきたいと思ってる。恨みつらみや憎しみを抱くよりも恩を抱いて生きていく方がずっと自分のためにも良いはずだ。

「誕生日に死から生還するというのは何かが生まれ変わったんだ」
と言ってくれた人がいた。当時は人の気も知らずに何を言ってるのか、とどこかで思っていたが、今ならわかる気がする。
生まれ変わったとまではいかなくとも、自分の中の価値観や着目するものには変化が起きた。生と死について考え、宗教に着目して学び始めたのも変化のひとつだと思う。
宗教に関しては大切な友人や夫となる人が学んでいる(後者の人はいた、なので過去形)ので、その影響も強い。

生と死に触れて、生まれた意味を知る……

なんて言い方をするとテイルズオブジアビスのルーク・フォン・ファブレみたいだ。また、この話はいずれ。

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