乳癌闘病生活開始(告知)

2022年3月22日に家族同伴で説明があり、右乳癌のサブタイプがホルモン受容体陽性HER2陰性と最終診断が下った。活発な癌細胞で進行が早いのだそうな。

異変に気付いたのは今年の1月の中旬で、出産後に何度も乳腺炎になった左胸に炎症があると診断された直後、逆の右にも大きな塊が感じられた。
親戚に乳癌で50前に亡くなってる人が二人いるので、自分もそのリスクファクターではないかと、30過ぎてからは毎年癌検診に行っていたのだが、検診を受けていた医院が去年からコロナの影響で検査を取り止め、私自身も家庭や仕事のことで検査を先送りにしてしまっていた矢先のことだった。

最初に再検査で胸部のMRIとエコーを撮ったときに、検査医と看護士が急に無言になり「紹介状を書きます。今週中の予約をいれるので、職場に伝えて必ず休みを取って行ってください」と伝えられた。
「右は癌だな。それもかなり悪いんじゃないか」と確信した。彼や友人、家族には「恐らく癌だろう。最近脇に痛みがあるから恐らく脇に転移してる」とすぐに告げた。


紹介先は大阪府でもかなりの有名な病院で、患者として通院するのは初めてだし、広さとシステムにひたすらビビって圧倒された。紹介状を受付に提出し、少ない待ち時間で診察になったが、MRIとエコーのディスクを見て医師は即「今の状態を見ましょう」と周囲の皮膚と乳房の視診になった。

「95%の確率で癌ですね。それも進行が早いので嫌な話をすることが多くなるかも知れません」
「えぇ……マジですか!?ガーン……」
癌であることは既に察していたし、この時にしか言えないネタを絶対に言おうと決めていたので、ちゃんと言えてよかった。
渾身のギャグを聴いた医師は
「癌を告知すると7割の人は泣き崩れてしまうんですが、こんなに肝の据わったというか…呑気な患者さんは初めて見ました」と半笑いで言っていたのだが、この後に遅れて到着した母の第一声

「御座候、思ったより並んでてなー、あんた白餡苦手で赤餡好きやったから並び直して買ってたら遅なったわー」

これを聴いたときは看護士さんも含めて全員が噴き出していた。父や主人、叔母と若くして急逝した身内を見送ってる母は永遠に続くものはないのだ、と本能で理解している人なのだろう。

話を癌に戻そう。
今や癌は日本人の3人に1人が罹患すると言われていて、肺炎を抜いて死因のトップになったこともある。今は昔とかなり違っていて、転移があっても転移箇所の摘出手術はしないことも多いのだそうだ。
転移があるということはほぼ全身に癌が回ってる状態なので、抗がん剤治療で活性化を抑えたりして、付き合いながら生存年数をあげていくらしい。私も転移していた場合は治せません、と告げられた。

癌=死に至る病ではない。
病気が人が作り出すものであるように、健康もまた人が作り出すものだ。
かつて西山けんさんの言ってた言葉が今回大きな励みになった。病気を作り出せたのなら健康も作り出すことが出来るはず。そもそも前に散々悩まされてきた希死念慮が実体化したのが癌なんじゃないだろうか、そんな気もしてきていて、そこで西山さんの言葉と考えが繋がった。

昨日から化学療法、抗がん剤治療が始まった。
計画表には10年単位での方針が書かれていたので、一生この病気と付き合うことになるのだろう。
死に至る病は疾病ではなく、自分の心が作り出す何かなのだと最近は改めて思うのだった。

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