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鬼滅の刃は「寄る辺ない」者の物語だ。


 連載開始時(2016年2月)にはジャンプで読んでいたので、鬼滅の刃は週刊ペースで少しずつゆっくり読むのが最高と思っている民です、コンニチハ。いきなりですが鬼滅の刃を少し語ろうと思います。
(ネタバレってほどではないと私は思うけど、連載第8話までの内容に触れますので注意)
(個人の感想なので勝手なことを書きます!)

 近頃鬼滅の刃論みたいなものがたくさんあるけど、どうも納得がいかない。もやもやする。「ビジネスに役立つ名言」なんか正直どっちでもいい。いや、本当は、名言はあったほうがいい。絶対あったほうがいい。けど、別に役に立たなくたっていい。本作の良さはもっと根本的なところにもあるんだ!!ということを伝えたいし、同じ気持ちの民と共有したい。

 ほとんどの週刊漫画がそうであるように、鬼滅の刃も、初期には表現方法に少々のブレがあり、コミックスで読み飛ばすと見逃してしまいそうな重要ポイントが多々あって、安定するまでには数巻分を必要としている。ただ完璧に通底しているのは「寄る辺なさ」だ。

 父を亡くした家庭で、主人公の炭治郎は長男として炭焼き小屋を守っている。(炭治郎は子供でありながらすでに子供時代を奪われている)もう充分に色々背負っているが、それでも炭治郎は幸せを感じている。(小さな幸せに生きることを社会的に求められたロスジェネ以下の世代には共感度メーターぶんぶんの初期設定である)

 しかし、ある日たったひとりの妹を残して家族全員が殺されてしまう。しかも生き残った妹は鬼になっている。その時代、場所での既存の価値観、鬼=悪者、は、炭治郎の中で完全に崩壊する。
 炭治郎は、鬼になった妹を救う(人間に戻す)ために、鬼(になった他の人間)を殺すという宿命を負う。
 正直マジできつい。

 炭治郎は鬼の情報を集めたいがために鬼殺隊への入隊をめざす。鬼殺隊は世の中に知られていない存在なので、社会に貢献していながら賛美されることはない。鬼殺隊も寄る辺のない存在である。

 他の鬼殺隊員は(というか社会全体もそうであるが)、鬼を鬼だと思っている。けれど、炭治郎はそうじゃない。だから、妹の禰豆子のために戦うと決めたとしても、最初に出会った鬼を殺せない。単純に殺すという作業に慣れていないのもあるが、そこにいる鬼はあまりにも生々しい。(モノローグも入るし異常に人間味のあるやつでダサい)木に釘付けになった状態でジタバタしている鬼である。たとえ殺せていたとしても、「カッコイイ」には程遠い。どっちにしろカッコイイことから程遠い炭治郎は、そもそもカッコイイことを目指していない。「カッコイイ」が溢れる少年漫画においても、炭治郎はやっぱりちょっと寄る辺のない存在である。

 炭治郎は力の行使を基本的には「苦しませるもの」「したくないこと」だと思っている。相手が鬼であっても。

 鬼滅の刃が支持されるのは、主人公が暴力を肯定していない点にもあると思う。
 近年、私がよく見かけた漫画内の敵は「殺されて当たり前の異形」であることが多かったが、鬼滅の刃で描かれる鬼は、時が違えば、社会が違えば、鬼にならずに済んだかもしれない者達だ。一世代前の敵は、愛すべき敵や強さの追求において分かり合える敵などが乱立していたが、鬼達はそうではない。鬼は卑怯で、逃げるし、利己的で、変なこだわりがあって、とても人間くさい。

 炭治郎が初めて自主的に鬼を殺すのは、鬼殺隊の最終選別である。
 初めて斬った鬼に、炭治郎は「成仏してください」と呟く。
 このコマは小さくて綴じ込み方向にあるので、是非とも読み飛ばさないで頂きたい!!!!ここを読み飛ばすと、次の鬼に乗れないから!!!!

 炭治郎が殺す2体目の鬼は異形である。この異形は炭治郎の関係者を大量に喰らっていて、すでに人の形をしておらず、見た目は肉の塊、残酷な発想や発言がまさに鬼そのもの、というヤツなのだが、炭治郎に斬られて、自分の体が崩れ落ちていくときに思うのだ。きっと蔑んだ目で見られるんだろう、それでも

「目を閉じるのは 怖い」

と。

 これほどまでに人間らしい台詞があるだろうか。
 死にゆくことはわかっているのに、この鬼は、目を閉じたら死んでしまう気がして怯えているのだ。そんな自分を見られたくないのに、怖くて怖くて目を閉じられないで、ただ崩壊していく自分の体を感じているのだ。

 この台詞はほんとうにほんとうにすごい。私の中では鬼滅の刃ベストワン級にすごい台詞である。
(残念ながらアニメには無い。漫画は手を止めればずっとそのシーンに居られるけれど、アニメは時間の流れを変えられないから、この鬼の気持ちを表現するにはちょっと複雑すぎるのかもしれない)

 子供が暗闇を怖がるのは、それが死を思わせるからだ。
 子供の頃、私も眠るのが怖かった。目を閉じたらもうそれが死に繋がっていると思っていた。
 鬼の走馬灯は、暗闇が怖かった普通の人間の子供であった頃の鬼と、その家族につながっていく。 
 そして炭治郎は言う。

「この人が今度生まれてくる時には鬼になんてなりませんように」

 人が。

 明かされる鬼の過去に温かい手を添えるという展開は、少年漫画としては当たり前ではない。本作の中でもそれは当たり前に扱われてはいない。その「情け」は鬼殺隊の一員としての炭治郎にとっては欠点、そのうえ鬼(妹)を連れている炭治郎は鬼殺隊の中でも寄る辺のない者である。
 鬼は死によって人に還る。魂の解放の物語は感動的ではあるが、悲劇の背景にはそれをもたらした社会への怒りがある。

 何が人を鬼にするのか。その問いは、まるで山月記のようである。(ご存知ない方は青空文庫へ是非!虎になってしまった男の物語。何が彼を虎にしたのか、そして旧友との関係にご注目ください)
 鬼達もまた、寄る辺ない者たちである。

 いま「寄る辺ない」時代にこの物語が流行るのは、必然だと私は思う。

(ここまでで、8話。コミックスだと2巻の最初の話までである。全巻語ったらどうなっちゃうんだ。)

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