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シン・次郎構文

おはようございます!書くことはないようである。舐めダルマのバッドホップイズデッドをきいた。僕が想像していた彼らの姿よりよほど落ち着いている曲調で、言葉を捻り出している感じ、そのまんまを言おうとしたらこれまでの言葉の組み合わせじゃ、吐き捨てるように使うだけの言葉じゃ足りないと言わんばかりのリリックで聞き応えがあった。もとはサイトウケイタさんという、謎の現代美術批評家の方のツイートで知ったのだが、1週間おいてまだ食らっているという彼のツイートを見て今日気が向いたらきくかあ、でも朝イチ書き始める前に聞くようなもんなのかなあと一度書き始める、あるいは他にやりたいこともなかったので、あるいはそれを最初に聞くのが一番いいのだろうなと直感していたのだろうか、どこへいくにも一点から足を引っ張られている感触が伴ったのでとりあえず聞くことにした。きくは聴くがいいのかもしれないからひらがなで打ってみたりしたけどもうめんどくさいのでなんでもいいこととする。

聞いたまま文章を書き進められるのか試してみる。聞いていた感じだとできなかったんだけど、言葉を聞かずに、こちらも言葉を書いているつもりではなくリズミカルにキーボードを叩いていればできるかもしれない。僕に批評はできない、のかわからない。批評とはなんなのかわからないからだ。サイトウさんは解釈のヒントとなるようなことを言っていた、ヒップホップが特殊なのは自らの創作物でありながら同時に曲の中で他の批評も行っていると。創作を伴う、リリックにして、あれライムっていうんだっけ?いやわからんな。でも作る過程を想像したら、なんというか私情が挟ま流ことのない部分なんてあり得ないというか、ドラフトは文句と俺はそれでもこうやってくぞの宣言に満たされていてもおかしくはない。だからリリックだろうがフロウだろうがライムだろうが、僕が想像できる程度の浅薄なヒップホップの一要素ならどこを切り取っても批評的であるとも言えそうだが、それって知らない凄そうなもの、たとえば秋元康はあんだけ国民的アイドルを生み出して金を稼いでいて、一応当事者からの信頼も分厚いように見えるもんだからこちらの素人意見なんて押し挟む余地は一切なくて、全て掌の上であるという考え方、これを神格化と呼びたい、と重なるのだろう。とりあえずリスペクトしときゃ間違いない、と、考えるのをやめてしまうことの弊害である。リスペクトとはなんなのか、どうしたらリスペクトしていることになるのか、もちろん多くの人がどう使っているか、僕が思うすごい人がどう使っているか、でしかその言葉を使えない場面はあるのだろうが、別にそれをそのまま使い続けなくてもいいわけで。勝手に組み替えちゃえばいい。そりゃすれ違いざまの旧友にわざわざそんな使い方を求める必要はない、彼らがそんな研究を望んでいないのだと断定すればだが。しかし望むなら変えた方がいいのだ、矛盾を生み出し、巻き起こった上昇気流に乗って、あるいは終わりのない蟻地獄に身を任せて、言葉を遠くからみてみたほうがいい。目に見える言葉ってたいしたもんじゃないなとわかる、たかだか気分よくいろんな人と喋れるくらいのもんで、何が生まれるわけでもない。そこから経済は生まれない。

寒し。非常に寒しだし、あちこちへ目移りが始まったことから改めて鬱からの帰還を感じている、のでさっそく書くのを中断して一階に降りてきた。買ったはいいもののいきなり彼女の家に置いてきてしまった山下澄人のFICTIONをちと読み進めたい。これは間違いなく通読できる。ぱらっとめくった匂いからして間違いない、というのは半分冗談で、手元に山下澄人の本があるとすごく心強いというのは、まえによんだおれに聴くの?で知っている。ミネタに誕生日プレゼントということであげてしまったが。たぶんまだ読んでいないだろう、どうしようとなく身体がしんどい時に読めるのであれはすごいんだ。なんてったって鬱状態の坂口さんが読めたっていうんだから、試してみようと思って買ったんだけど、読めた。まあもともとプラシーボは効く方なんだけど、効くならいいやん、でもある。大好きな大学受験期、僕は毎朝ワンダのモーニングショットを飲んで、一睡もせずに1日を過ごしていた。僕はコーヒーを当時まったく嗜まなかったのでコーヒーってすげえんだな、とりわけこれなんて朝イチで飲むために作られてるから甘めに作られてるとか、そりゃこんだけ効くのかもしれないなと友人におすすめしたら、寝てた。彼はモンスターエナジーをよく飲んでいた。水だと言っていた、実質。エナジードリンクの味は好きだが、あまり飲まないようにしていた。というのは体に悪そうだからというのもあったし、早めにモーニングショットに出会えたからである。ラッキーだった。ワンダモーニングショットと、メルティーキスのなんか最近見かけないが、ハイチュウくらいのサイズのやつと、ろくに解けないが持っておくと数学ができるようになった気のする良問プラチカ、三種の神器である。昼ごはんはやはりというべきか、よくおにぎりを食べていた。というかここをベースに考えたから今おにぎり食べているのか。なにも考えなくてもその時の体の調子を観察して色々試したら、またおにぎりに収束しそうでもあるが。なんだかんだ2000字ちょっとまで今日も到達する。今日は4000字でいいかな、とも思いつつ、そこまでいったらもう一息だし、いつも切ります!ここまでで終わりにします!の余韻を楽しんでいたら達してしまう、故に保坂和志イズムを意識するのであればどちらかといえば4000字ぶった斬りを鍛えたいものだがそちらに苦労していた。なんか、ノルマ引き上げるなら5000字まであげないと意味ないのかな。意味はなくてもいいんだけど、悪い効果をもたらしそうな気もするから、半端に、まあいいか。とりあえず今日も4500字でやってみる。9000の半分でしょ、なんかキリがよさそうじゃない。平時に5000だとな、今のところ想像するぶんには多いな。うへー、負担、となる。いったんアイドリング期間だ、今が一番負担が大きい。このタイミングで楽なんだとすれば、体にあっているともいえそうだが、楽すぎるというか、ノルマをどう捉えるかって話になってくるな、すると。僕はノルマが負担になってはいけないと思っていた、代わりにやぶれない、やぶりようのないものにする。そのうえで目標、これだけ書きたいというのは一歩先、ちょっと無理しないと今のところは厳しいな、でふわふわ前方に浮かべておくと。うーん。今でいえば4500がノルマ、5000が目標値。それでいいか、4000字でがんばって切ろうとしていたのを4500字でやればいいだけだもんな、保坂和志はなにも4000字にこだわっていたわけでもない、たぶん。で、平時5000、鬱8000、躁はいま想像できないけどまあ平時と同じってことでいいかな、他にやりたいことはたくさんできるんだろうけど、企画書を原稿に組み込んで5000ノルマとかでいいか。まあ、決めすぎないで、文量なんて都合よく捉えればいいのだが、あえて定量的にみることで身体が楽になることもある。既定の文字数、枚数を設定するのもそうだし、あるいは僕がものをかくのも、作るのも、死ぬまでやるのだと決めてしまったことも、それにあたるのかもね。

お疲れさんです、の章。つまり日によってこのまま書き上げる所まで向かう時もあるし、ざっくりもうあとはどうにでもなる!という量まで確保しちゃうくらいで止める、止まる時もある部分を書いていこうと思います。だいたいどのくらいかな、最近また書き方がバラバラになってきてるんでね、休憩やうつを挟むたびにサイクルが変化する。飽きるとそれらが挟まることになる。終わりがあるからそれを栞みたいに扱って、付箋みたいに後から辿ってあーだこーだいうことができるんだが、そのときはもう一つ区切られたということしかわからないからねえ、そのたびもうこれで終わりかもしれない、これまでやってきたことが嘘だったみたいに、サラサラ言っちゃうんじゃないかと毎度疑ってしまいます。僕のやり込みもまだまだだということですな、案外ここまで馬鹿正直に量だけ立派な日記を半年も続けているやつは随分絞られてくるんじゃないかとも思いつつ、これが僕の絶対の推進力、いつもこうやってきたんだから、また大丈夫だと、そんなハンドメイドの永久肯定機関として認められるところまでいくには、僕が運と言えばいいだけですがまだまだ時間がかかりそうですね。持久戦は結構得意なんで、この勝負すでにもらったと思っています。なんかこう、続けるのがすごいんだよ、仕組みが分かっても、こういうもんだとしゃべることができても、今目にしている技術だったり向き合う姿勢を洗練していくことに凄みを見出せと言われるとほんとそうだよなと思いつつも、あとはやり続けて、向上させていくだけだとわかったらもうつまらない、ということがたくさんある。無駄を削ぎ落としていく、とか手作業の速さとか、その辺を見てぼくは出番はここまでだな、作り手でいられるのは、だからまあ、これを機にあれこれ文句を言うのもやめとこう、とかなんとか思うわけですが、書くことでいえばなかなかどうして、平易な言葉遣いで、とか手の動くままに、かといってぶっ続けで描くことに躍起にならずに、吐露に一生懸命にならずに、不意に出てきてしまうものはもう流しちゃって、まんまだと恥ずかしい時があるから大量の流水で洗い流すようにまたがーっとあれこれ書いていく、そのまんまの流れで、ひたすらあとは続けていく。死ぬまでこれができるんだと想像して、たまにニタっとするときもある、めちゃくちゃすごくなっちゃうかも、てかヤバさが、凄みが勝手に出てきちゃうかも、そんなことになったらまあ設けもんでもあるが、計画通りでもあると。

せっかくノルマをかさましした分の500字が残っているので、さっき録ってきたラジオの話でもしようかな。リアルタイム感を損なわずにTwitterスペースであれば複数人で会話が録音できそうだと言うことでやると決めてから少し経ってしまった、2週間ほど空いたのかな、あと決行日を決めてざっくり他二人への質問だけ考えて、みたいなコーナーだけ用意しとく?みたいな案がでてから昨日まで特に大した連絡も交わさず当日を迎えてしまったが、起きて少しものを書いて、9時前ごろに今日の鼎談おぼえてるやついる?と聞いたらまずタケダ、つぎはタニ、予定は確保してまっせとの言質をいただいたので、12時から決行することにした。二人がもしかしたら忘れてるかもしれないと不安にもなったので、いちおう今日は企画とかは気にせず動作の確認というか、はじめに、みたいな感じで15分20分やろうと加えておいた。せっかく公開収録のようなかたちをとれるのだから、オーディエンスというと偉そうだが、しゃべってる人とは別に聞いてくれる人がいたら楽しいなと思い、交換ノートを回しているグループへの告知はもちろん、この前少し興味を示してくれていた気がするマキさんにも、ちょっと突然に感じではあったがお話をしてみた。それが収録開始の1時間前、11時過ぎのこと。マキさんは聴きにきてくれた、最初から最後まで、後から聞き返すと音が被って聞き取りづらかったし、ちょっと喋り方の工夫が必要だなと思ったし俺二人で喋る時の話題のチョイス質素すぎて旗から聞いてるとこれ退屈すぎるかもなと思ったり、改善するかは別としてテコ入れできる箇所は色々あるたたき台回でしたが、この場を借りて感謝の弁を述べさせていただきます。てかシンプルに夜開催だったら聴ける人も多いのかもね。俺はあんまり寝る直前にべらべら喋ると目が覚めたままになっちゃいそうで怖いけど、彼女との電話とか大丈夫だしな、とはいえ寝る時間はいつもより30分1時間は絶対後ろ倒しになるけど。ま、たのしければよし。そんなわけで第二回のはつあんはどしよかな、ガラッとメンバー入れ替えてもいいし、なんとなく今回のアーカイブを見てくれた人がリアクションくれてからにしようかなとも思ってるけど、どんどん収録日程だけ決まっくのもそれはそれで。またしても何も知らない彼、みたいな人との鼎談はずいぶんちがった温度や色を持つことだろう、同じ3人なのにね。てなわけであれだな、やっぱ4000字超えてからのアディショナルタイム、この言葉を使ってること関係なしにあっという間だな。なんか、風呂入ったり野菜ジュース飲んでる感じ、絶対もうこれは惰性でやろうがなんだろうが俺に録っていいことだから、安心してだべっている感じ。これをうまいことラジオで演出できると、あの時実はこうだった、って単なる秘蔵エピソードというだけではない、ガチでオクラに入っていた記憶や、意味を持たないが彼が無性に心惹かれるひとつの情景、そんなものが飛び交う回になるのかもしれない。それを聞きたくてやってるけど、まあ先は長いね。とにかく今が一番出力が大変なタイミングだと思って、ノリノリで(やれるようなときに)やるしかない。やれるときにやっとくというのは、本当にやれるときに、本当にやるということです。シン・次郎構文。

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