7/20 夜

暑すぎる。どうせ千葉までしかいけないのなら潔く各駅停車に乗っていればよかった。ここでもう8分待てば蘇我まで行く快速電車が迎えにくるが、想像以上に暑苦しくて少しでも早く涼しいところにいきたい。涼しいところって今は電車の中くらいしかない、あるとしたら本屋だが疲れていてそこまで歩けない。このまま帰ってもどうせ自由にできる時間は短いのだから、いっそ家に着いてしまう前に好きなことをすればいいのだ、でも今やりたいことってさっさと横になることだ。涼しければ、本当は駅のベンチで寝てたって嬉しいのだ。眠いのだとにかく朝から。眠くて暑いと大変だ、なにが嫌なのかががんじがらめになって解読できなくなる。千葉駅ナカのくまざわ書店くらいだったら覗けるかな。どのみち千葉でしばらく待っていないといけない。津田沼で10分くらい待ったから、思ってるよりその時間は短いのだと思う。ましてや2階にエスカレーターでのぼって、すこしコの字型に歩いて、また同じ道を戻ってエスカレーターを下って、そこからホームまでの距離が帰りは遠く感じる。本屋にいすぎるのだ。このくらいに出れば、そろそろ出ないとやばいな、のライン設定がいまだに下手。乗れなかったら乗れなかったでとでも爽やかにいえたらいいのだが、立ちっぱなしじゃ待っていられなかったくらいの電車に乗れないなんてことが起きたら大変だ。あまりに帰りが遅くなる。それも20分やそこらの話だが、大きすぎる。眠くて疲れた人間にとっては。腹ももうすぐ減ってくるだろう。

なんか慣れたんだけど。えっ。嬉しい。一本早い電車に乗れるとほんとに、なんの混じり気なく嬉しい。それが気楽でいい、こんなのは珍しい。
このまま、立ったまま目をつぶって休む。快速ではこれで寝た気にはならないが外房線からできる。落ち着く、しけた白色の蛍光灯と、最近は鼻が慣れてしまっていちいち気にしないが、汗臭さ。サラリーマンの汗臭さとは違う、もっとしけている。湿気は、行きより帰りの電車のほうが高い。行きの道でそういえば臭いなーと思ったことはない。総武線各駅に乗るときはそういえば思うかもしれない。行きの道で。帰りは外房線で思う。それだけのことなのかもしれないが妙に気になる。なにがどうなっているか明らかになる前から腑に落ちている。俺はこのときこう感じて、このときはこう。これとこれでは違うんだな、俺の感じ方が、と分かるだけでよかった。ずっと覚えていなくてもいいことだった。
蘇我には高校生のときからの行きつけのラーメン屋がある。味噌ラーメン屋と呼んでしまってもいいくらい、味噌ラーメンしか食べたことがない。食べれば食べるほど、というか僕が歳を重ねるごとに、美味しく感じなくなっていく。味が濃いな、というのは高校生のときから思っていた、その程度はあまり変わっていないと思うのだが。蘇我でたくさん人が乗ってくる、左後ろの、僕の真後ろにある一連の座席の左隣、ドアを挟んだ向こうの青いシート、その一番左側のふた席が封鎖しれている。キープアウトとでも書いてありそうな黄色と黒の斜めのボーダー、俺が味噌汁に入れるときの長ネギやサラダに入れるきゅうりが、すこし熟れ過ぎていると感じたときはそういう切り方をする。あんなの初めてみた。誰かがゲロでも吐いたのか、地でもなんでも吐いたのか、椅子がボロボロにちぎれたりしている様子はなかった。やはり不気味なので、あちらの区画には立たないことにした。電車に乗るとき、具合の悪そうな人がいたら真っ先に助けたいと思うのに、ゲロを吐かれることを本当に心配している。困ってそうだな、でもゲロ吐きそうかも、で、出足が遅れる。このまえもそうやって立ち止まっているうちに、あれはもうどうやっても間に合わなかったが、ひとり男の人が床に倒れ込んで頭を打っていた。ゴンっと鈍い音がみんなに聞こえて、寸分の迷いもなく助けに入るひとがやはり一人はいる。俺もキョロキョロはする、少ししたら頼りになりそうなおじさんのサラリーマンがきて、停止ボタンを探しましょう、と提案するが、みつからない。見つけたとして、僕は押せたからわからないというか押しはしないと思う。僕が押す前にだれかが押すと思う。ボタンの前でひじをまげて指をキョロキョロさせて、ここにボタンはある、あるけど、と迷ってることがわかるくらいの動きをする。そうしたいわけでもないけど、そうなるのだとはなから予想がつく。改札を出て階段を降りると暗くて、今日のこれには夜と銘打とうと決める。迷ってはいるが、どうせ一発目のがいいんでしょ、と諦めている。今は、とりあえず一発目ははじめに思い浮かんだので出しちゃって、書き換えていいことになっている。最近のことだ。そうなったのは。暑い。蝉がチリチリ鳴いている。すでにか細い、のは一部の死期が迫った奴らだけなのか、イヤホン越しでも鮮明に、綺麗な伸びの声だとわかる蝉たちばかりいる場所に入る。駅の目の前の奴らが一番元気がなかった。改札を出てすぐの、道路を跨いだ橋の上ではちゃんと聞いていなかった、そのあと階段を下って駅前のジャスコを望める位置に立つと、まず、使い慣れないマッチを擦らすような音がきこえる。そればかり、そういうセミしか今はいないのだと思った。今はマンションばかりあるところにいて、遠くで、やはり伸びやかな声の奴らの音が聞こえる。そんなに鳴いてどうする、と彼らに対してだけ思う。

気が紛れる。電車の中では本当に元気がなかった。まだここには書きたくない理由で、ほんとは昨日夜睡眠時間を削って書いた、そうでないともっと寝る時間が遅くなることが、いやそう思いたかっただけかもしれなくて、そういう、次の日のことを考えずに、寝不足の域を超えて不健康な感じでフラフラで働きたくはないのでそこの限度は守りつつ、でも睡眠時間を削る、夜更かしするって形で俺を痛めつけながら書きたかったことがあった。ひたすらに、責めるのは俺のことではなかった。痛めつけられるのは体だけでよかった。それでバランスをとっていたのかもしれないと適当なアイデアを思いつく。暑い。涼しいと思えないこともない、日差しもないし、ちょうどいい強さで柔らかさの風もある。すぐに帰りたいことが傍目に数秒みてわかるくらいの早い歩調で歩いているから暑いのか。早く帰りたい。さっさとシャワーを浴びたいが、それより。でもさっきと違って横になりたいわけでもなくなってきた。神社の前のベンチでしばらく座っていてもいいような。それだと家に着く時間が遅れて、それはそれで嫌だから帰るけど。それでもいいことに気がつく、これは大事な気がする。

どこまで、3000字くらいまで書けるだろう玄関に着くまでに。いまは2750字だ。歩いて1分ちょっと、2分はかかるかどうか。聴いていた音楽のことは覚えていない、引っかかるところがなかった。書くことに集中していたとも思わないが、心地いいとも感じないまま音楽が耳元で、黒いイヤホンを介して体の中に入ってきていたというのに。異物の存在を僕は思わなかった。特にこれは大事なことじゃない気がする。でも書く。それがまた実は重要で、アンチテーゼになっていて、みたいな無敵の理屈が嫌いだ。買い被るな。絶望もしないていいらしいが、やはりぱっと見えているもの以上の言葉で褒めたって仕方ない。お世辞であるかどうかが重要なのではない、お世辞でも嬉しいものは嬉しい。大事なのはそう思っていっていることで。

蚊っている?今年

とツイートしようか迷った。

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