逆に日記 2024.7.4

しゃべるように書くしかねえ。かけずに17:42まできちまっている。色々書き出しの候補はあった。トイレ行って、とてつもない質量のうんちが出て、あまりの体の軽さの違いに、「今日という日はそのうんち以前、うんち以後に分けられる」という売り文句を思いついたところで、他にもっとやるべき事務が目の前に転がっていたので、やるべきとまで言ったら強すぎるがまあそれをやってしまったがために機を逃してしまった。そして、漫画を読むのか、昼休憩に魔々勇々を買ったので、それを読むか、どっかでカグラバチ買って帰るかいよいよ、それとも書き始めるか、どれも気分とは違って、Twitterを見るのが嫌ではなかったのでぼーっとみていた。嫌にならないうちに前の席が空いてくれたので助かった。津田沼にですわり、なんとか書き始めることができた。駅の改札に入る前の道で、俺は今日、書いた方が嬉しいのか書かない方が嬉しいのか考えて、3秒後に、書くやろ今日はということに決まった。どのみち、4000とかは分からないけど書き始めることは決まっていたので、ならば帰り道に書き始めてしまった方が気は楽。どうせ、苦しみながらでもどこかで書き始めるだろうなとは思っていたが、そうはならない気もしていた。つまり、どれだけ後ろにずれようと、あるいは後ろにはそうずれないと確信できていた、するーっと書き始められるような気がしたのだ。いかそうめん。そんな言葉を、寿司とかに乗っかるような透明で白い生のいかを想像しながら思い浮かべたが、いかそうめんではそういうことにならない。しかし、いか、とそうめんはどちらもああいう爽やかなイメージだから、いかそうめんじゃだめだ、となるまえにここに書いてしまうことで、いかとそうめん双方の爽やかさを活かした、いかそうめん、がここに降り立つ。この奇跡を唯一起こせる手段こそが、浮かんだ言葉を書いてしまう、それなのである。

書き出しはこんなもんだろうか、最近、喋るように書くというのができなくなってきている。喋るように書く、と普通に楽なように書く、の境界線がぼやけてきている、どっちがどっちに寄ったのかと聞かれたら、しゃべるようにの方に書くことが寄っている、と言えばいいだろうか。しゃべるように、書き言葉としゃべり言葉の口調は違う、とも思ってわざわざ書かないが、英語を訳さずにそのまんま受け取る、(複雑なものを複雑なまま受け入れる、考えることにもつながる運動を僕は今見ているのかもしれない)ような感じで、書くときにしゃべってるように書くのと、しゃべるときのしゃべる、ように書くというのは違う。それは、カッコいいなと思う漫画のキャラクターだったり、それが好きなロックスターの口調からきている人もいるかもしれない、とにかく、どんな口調でもいいが、しゃべるように書くとは誰の口調で喋っているのか。僕の口調ではない、が、僕らしいのとそうでないものの区別はつく。なんとなく。ああカグラバチ買おうかな。揃えて買いたいが。今月の予算配分的には、本代が一番思いのまま動かせる、序盤から。むしろここを起点にして今後の出費のバランスを組み立てていっていいような。庭にひとつ、これは諸々の都合で動かせない大きな石を置いてみる、というか置いてしまった、という状況を想定するように。欲しい本を、どうしようもなく買ってしまった、これを、まああんまり作為によったようなのでは面白くないが、気になって仕方のない漫画はもう買っちゃう。僕はこれから本屋にいく。降りたホームが、目の前で次の行き先に向かう電車に乗り換えられるところではなかったから、ということにして。まあさらっとみるだけ。

次の原稿に移ろうか迷うが、もう少しつらつらと。カグラバチ、買いました。ツイートしようかなーと思ったけど写真つけたいし。けっこう電車混んでるし、くまざわ書店の俺の大好きな紙袋にも包んでもらったし。もう条件揃っちゃってるわけ。まだ開けずに、ここでつらつら書く条件がね。家帰ったらあけて、もうシュリンクはとってもらってるから、電車にも無事乗れたことだし、夕飯の準備の前にツイートだけしようかな。ば先のクニキチに連絡するかだけ悩む。ば先の子にそういう連絡をしたことはない、でも彼はバチブロスだし、一応バチブロスはTwitterのフォロワーにもいるから、ツイートしたら気づいてはもらえるんだけど、んー、アガるのはクニキチ。ちょっと写真撮ってから考えようかな。

さて、ではバチ以外の話もつらつら。明日美容室いって、神保町のなんだっけ、なんとか矢口、駿河台矢口。神保町とはいわないくらいの位置にある。バイトが18時までの予定だったから本屋巡りは諦めて、そのまんまの足で髪切る予定だったんだけど、変えようかな。そのあとに隣にあるエチオピアでカレー食ってコーヒー飲んで、終わった頃には8時半とかだけども、そこからレミちゃんちに向かおうかと思っていた。むずいな。遅くにカレー屋いってコーヒーがちょっと乙すぎて、かなり難しい判断になるな。もう2択。今、帰りの時間わかったら連絡してねーって連絡が来たから、そこで気分が、やっぱバイト17時までになったから、

〜帰ったら、インスタのストーリーでバチ三冊並べた写真に、“名倉「すまん、バチブロス」”ってテキストを添えようと思い立つ〜

えー、バイト17時までになったから、バイト17時までになったから、えー、バイト、うーんと、なったから、なんだっけ、えー、やっぱり髪切る前にカレー食って、ここなんだよ悩んでんのは、カレー食ってコーヒー飲んでから美容院行くか?普通、ってところで、普通じゃなくてもなんでもいいけどちょっと臭うのはやだよなというところで、どうするか。あとは早めに退勤して髪切るまで時間があると、他には、古本屋をめぐることができる。それもいいけど暑そうだな。これ、身も蓋もないってやつなんだろうけど、乙を追い求めるにあたっては。そうかー、スムーズだよなでも、スムーズな方がええねんまず明日は。って考えると、今日の帰りみたいに、帰りの電車、何に乗るかってのを本屋に入った段階で調べまして、よかった、55分発のは本屋によるまいが乗れなかったから安心して次の6分発に焦点をあてられると、ならばあと10分弱時間があるから、ゆっくり、自力でカグラバチを探すことができる。買うにせよ買わないにせよ、俺はこの電車に乗る。

〜これ、カグラバチのこと家で書かなくても書き切れるな、と確信〜

いま2700字、文量を宣言するのはかなり久しぶりだ、制約と誓約をどこかやっている気になるが、俺にいい作用しか正直もたらさない、なんか、まあダサいっちゃダサいのと、あとしてやったり感がモロに出ててダサいのか、こんな感じで、全然もう、もういいんで!こういう感じでやってるんで!俺もういいんでそういうのは!っていうのがもうパフォーマンスに振り切ってる感じを出したくて仕方がない様子の、そのメタの水平が幾重にも重なっているが、別にダサい、どれをとってもダサいにはダサい、そんな感じの制約を浴びつつも、文量はまあ膨らむと。それが、ううん?誓約。誓約ってなんやねん。ええ方?あ、着いた。まあそうか、神みたいなもんから与えられるほうが、誓うほうなのかな。約束されてる、みたいな。これをやる限りは、こっちの恩恵は、ってふうに僕は考えてます。しかしこのパフォーマンスも、そこそこクサくないようには、以前と比べて出来るようになっているんじゃないかなあ。となると、クサくせずに、まあくさいのはそれはそれで好きだからほどよくクサく、目も当てられないようなのではなく、ニヤっと笑ってくっさいねえと微笑みつつ読み飛ばしていただけるような書きっぷりに俺は向かいたいわけだが、一応、その線では多少向上してるんじゃないのかな。

まあでもクサいからそろそろ、量がというより、かけた時間が、ちょっと体力も持っていかれすぎだしこれ以上はね、やめておこう。800字弱と残りの具合としても申し分ない、腹も減っている、キョロキョロ、書く方向以外への欲動も見回してあげると、そろそろ真っ直ぐ前まで歩いたほうがいい。帰ります。


「masayachiba 環境問題」で絞り込むと出てくる、千葉雅也の「環境問題」論、マジでえげつないこと言ってるんだけど、こんなん言ったらまたえげつない口喧嘩になるから、全員のOSにこっそり搭載したい。そのために必要な「勘違い野郎」的振る舞い。って感じで原稿書きたい。

ってツイートした。前もここで書いたけど、なんとなくツイートで言いたかった。なんでだろう。千葉さんに見てもらえるからってのもあるけど、今日風呂入ってたら、明らかにこれやっぱりみんながもっとくべき物の見方だよなと思ったのだと思う。ってツイートにも書いてあるけど。迷ったのは、ここへの補足というかこれの続き。ほんとはこれに、前、「環境問題」論をみたよりずっと前に、千葉さんが「保護犬を守るための募金活動を駅前でやっているのを見て、「まず人だろ」と思った」と覚え書きだがそんなようなことを言っていたのを見て、そのときは痛快な言い回しだなーくらいにしか思わなかったのだが、なるほどつまりこれもいち具体例か、と思うとすごく興奮した。マジで、千葉さんだけが言語化っていうのをやってる、って僕は無知の強言でたまに言うのだが、またその言語化を目の当たりにしたと思った。糸井さん、世も末感がなんたらってツイートしてめちゃくちゃな責められ方してるけど、あの周辺の方々が揃ってとるべき基本スタンスってまずこれだろう。これから始めて、ってわけにはいかないんだろうが、それは僕もそうなわけだし、ある意味千葉流の深い思考の型にのっかることによって、俺も自信をもっていま喋れてることになるわけだし、とにかく、そら強く言えるだろそこに立ってたら、って状態を自覚するタイミング、というか、それに運良く自覚できたら、パッパッと距離をとり、しかし口から出た言葉の感じにも注視して、その反復横跳びとも無限のマラソンともとれる運動をなめらかに行えるように訓練する。ってのを書きたいよね。書きます、10年後になるかもしれないけど、最長でそれどころじゃないかもしれないけど、書けると思う。えげつない興味がそこに向いているから。なぜならね。

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