呪術廻戦の文句への文句ならつらつら言える日

暇。書く。電車乗ったら書く気になった。なんでもいいと言われても書く気にならないなーと思ったけど、Twitterに流れてくる、おすすめ欄のほう、呪術廻戦への文句への文句ならつらつら言える。あいつらほんましょーもないで今の時代に生きてて。文句ひとつ言うにもリサーチせんかい。他にその言葉使って言うてるやついてるならやめんかい。アホか。口元が力んでて、ぐびって変な音が鳴っちゃいました。ところで昨日いい感じのツイートできたんで見てください。
チャンス大城のトークをイメージして話を結んでいます。

早めに眠くなって、電気消して音楽聴いてアツいこと思いついてやめといたりしてたらバサバサァッ!って耳元が鳴って、明らかに虫なんでマジかよとキョロキョロすると、蛾かアブで、電気つけて窓まであけたけど見失い、電気消してカーテンが明るいから集まるのかとめくったら、中秋の名月見れたんですよ

山下澄人ですら本になったら太字を使うんだから俺も使ってみるかと最近思ってきている。あとツイートとかはこっちで書いたほうがアホくさく見えていい。面白いと俺は思う。
これが140字ぴったりなんですが、もちろんいきなりぴったりなわけではなくて、ガーっと様子みながらも書きたいようにここゆったり書くのは譲れないなーと思いつつ、バッサリいくところはリアルタイムでもバッサリいってるつもりで書き進めて、もちろん10字以上オーバーして大幅な添削が求められる。そこからが楽しい。生きていると言う感じがする。書いているという感じはしないし、書き直しているという感じはない。だがなんだろう、こねこねして、言ってることは全然変わんないんだけど、どうしたら俺のこの頭の中にある映像というかひとつのショット、二次元の情景、複数の二次元、決して映像ではない、別に決して、というのは重要ではなくてあのときはそうだったし基本的にはそう、なぜか二次元、写真があらゆる角度から撮られている、映像ではないというかそう思わない認識しない。坂本龍一の戦場のメリークリスマスは、小学生のときにケンタローが教えてくれて、こんなに良い曲があるのかとびっくりした。小学生のときはよくその感触が味わえた。こんなに良くて、大丈夫なの?という。あれが味わえることは、最近になってようやく出てきたけど、いやそうでもないのかも、サッカーを見始めたときやパワプロをやってたときもそうだったと思う。小学生のときも頻度は同じだった。そんな気がしてきた。しかし小学生のとき僕は、これは特に特別な思い出ではないのだが、単に、坂本龍一の戦場のメリークリスマスを聴いて良すぎて驚いて心配になって、しかしその後の人生になんの影響も及さなかった。心があれは動いているのか動いていないのか。とりあえず人生はなにも動き出さなかった。ただ、それなのに、それほど良いと思うことがあった。いや、それほど良いと思っているのに、それで終わり、ということがよくあった。大人になってから僕はそういうのを千載一遇のチャンスだとかいって、理由をつけてそこから人生を変えようとし始めた。これがあれば、もっと生きるのが楽しくなる。


圧倒的に足りてねえよな。今どこの駅にいるのかという表示が。粗品もどこかでいっていたが、たしか、いまいる駅はどこかの画面に常時表示しといてくれや。これっておかしいですよ。絶対おかしい!なんであんな、何メートルおきにあるかわからないプラスチックの表札をキョロキョロ探さないあかんのですか、ないし。見えないときも全然あるし。あれ、一番おかしいのちゃいますかね今地球で。弱冷房車の弱がでかい。弱だけ太字にしてやろうかと思ったがマイブームに則って、別に太いわけではなくでかいのを表現したいので、やめた。しかしそれからもいちど見ると、太くもあった。でも目についたのはでかいことなので、ハマってるからといって太字にするわけにはいかない。嘘をついていることになる。盛り下がるにはまだ早い


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?