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晴天/野村さん/ひと2人くらいならまずは通れそうないくつかの出口

おはようございます。書いてくよ、船橋駅から書いてくよ。アラームより早く起きた。5:21くらいに起きた、昨日寝たのは23時くらい。そこをデッドラインと見ていたからそこに達するまでと達したあとではっきり寝る前の休息と不要な夜更かしが分かれている感じがした。それから6時間ちょっとして起きたということになるから、つまりどういうことかはさすがに最近起きる時間がバラバラすぎてわからない。今週は平日ずっと家に帰るので観察チャンスである。明日はバイトがない日なので、体を自然にしていたら何時に寝、何時に起きることになるのかという観察が捗りそうだ。とれるのはひとつのデータだけど、そこから100思うことだってできる。

よし、ハッと目覚めたかのように書いていく。残り3駅、4駅?マスクを着けてきた。昨日ちょこちょこ咳をしたいことがあって、マスクがあったらできるのになーというよりはマスクがあったらしたくなっていないような気がした、喉が乾燥しないとか多少は車内のゲホゲホムードをとり込まずに済むと思ったから。今日は誰もゲホゲホしていない。いまマスク外した。息がしやすい。コートも襟を立ててボタンを閉じてそのままだし、息苦しいのもちょっとあるがなにより熱がこもる。暑い。マスクを外したらましにはなったが、急にゲホゲホし出す人が現れ出した、ような気がした。苦しそうに、ほんとはしたくないんだけどそれでもこの喉のいがいがをなんとかしなくてはならない、彼女がそうしようと思ってそうしたのか体が勝手にそうしてくれたのかはわからない。

あっちー。あと二駅か。人の合間をぬって僕まで微かに届く冷気が気持ちいい。昨日とは正反対。というか僕はドア側に座った方がいいのかもしれないな、そういえばやたらと電車を息苦しく感じるときと、そうではないときがある。まあそうではないときもなんらかの不快に多かれ少なかれ気を取られてはいるんだけど、昨日でいえばせっかく暖房たいてんのに各駅停車でドアが頻繁に開くから、足元がつねに冷気にさらされているような形になって、雨も降っていて外は暗いし、まあそのとき僕は息苦しいなんてひとつも思っていなかったのはたしかなんだよな。もっと気になることがあったから、ではなく息苦しさは特になかった、気にするほどの程度に達していなかった、のだったはずだ。もうすぐアルバイト先の最寄駅に着く。嬉しい。やっと外に出られる。眠くて仕方のなかった昨日とは正反対の心持ちで、電車から降りる。眠くない。息苦しさはけっこうある。暑い。

外に出て15メートルほど歩いた、イヤホンをつけたままだったことにようやく気づいた。あれだけ体を内へ内へ押し込むような格好をしていたら苦しいのも当然だ。マスクを外して、襟を正して、ボタンを外して、イヤホンもとってよかった。やけに目立つ密閉感の大元がこれだったとは言わないが、なんで忘れてたんだと驚くくらいにはクリティカルな要素だったはずだ。むっちゃ晴れたな。晴天。青天の霹靂って、どういう意味?晴れ渡った空に突然起こる雷の意、だって。霹靂は雷なの?かみなり、いかずちそのもののことだったりかみなりがなることを指していたり、まあそんな感じらしい。で、青天と組み合わさると、急に起こる変動、大事件、突然起きた衝撃、とかになるらしい。goo辞書ってのが一番上に出てきたからほぼそのまんま書き写した。ほんで晴天の、は誤りと書いてあったのをみてそういやそうだ、と思い出した。晴天のと書くつもりで最初ここに書いていたので見返してみたら、勝手に正しく変換してくれていた。とはいえ晴天の、と書きたい人が書いたものの表情をしている。いやはや、お恥ずかしい。出勤。

おつかれさんです!昼休憩は13:39から。今、イタリアはローマにあります、みたいな言い方を試してみました。ほんとはサッカーの実況で聞いたことある言い回しだったんで実例をここで挙げたかったんですが、いまいち思い出せない。イングランドはリヴァプールにあります、いやイングランドなんてその文脈でわざわざ使わないよな、ただスタジアム名でもなかったような気がするんだよな、でもなんだかはアンフィールドにあります、みたいな響だった気もするし、桑原さんか野村さんが言ってた気がするんだよな。桑原さんならラリーガだし野村さんならプレミアだし、北川さんではないもんな。んー。だからスタジアム名だとしてもビッグクラブにとってはアウェーの地で行われる試合だよな、こういう表現が使われるとすれば、決して聞き馴染みのある場所とはいえないところで試合が行われるときに使われる言葉、それを僕は聞いていたはずなのだ、が、思い出せない。桑原さんだったか野村さんだったかすら思い出せないハイライトでよく聞いていた気もするから、と考えてもどちらかに絞りづらい、僕がみるハイライトには本当この2人がよく登場する。マンチェスターにあります、って下の句をちょくちょく聞いていた気もしてきた。上の句でエティハドスタジアムと言ってるのは聞いたことないから、オールドトラッフォードはマンチェスターにあります?いや場所の説明やん、いや場所の説明の話はしてるんだけど今使いたい語法ではないんだよな、これだと普通だもんな。ぱっと見語順が逆転してて面白いから自分で試したくなったんだから。鳩が僕の前を横切る、というか僕をかこう半径50センチくらいの円にそうようにして、膨らみながら僕の前を通過する。そんなに近づく?と思えば若干遠ざかり、まあ鳩にもある程度わきまえるべき距離感のような観念はあるのかもな、と思えばじりじり距離を詰め直す。一度も目は合わないまま、こちらに気づいてんだか気づいてないんだかよくわからない、ただまっすぐこのまま歩いていては何かにぶつかるだろうな、との予感にだけ従ってまっすぐ歩いているように見えるこの生き物。ちょっと、今度から今以上に気を張ってプレミアリーグのハイライトを見ようと思います。たぶん野村さんなんだよな。

さ、さっさと書きますか、さっさ。帰ってます、千葉県に。明日はお休み。だんだん1日フリーの日が休日って感じにみえてきているのはいいことなのかどうか。まあバイトがある日も最近2連勤くらいだったら楽勝だし、明日もあったらちょっと腰が重いくらいで、ただつまりはそれってバイトがあろうがなかろうが良いというわけではないってことだ。なにがあろうがなかろうがいい、に埋め尽くされた1日が永遠に続き始めたときが、僕にとって目指すべき場所のように思えるのだが、まあ今もなかなか悪くはない。悪くはならないように、てか良くなるように必死こいてはいるからそりゃ悪くなってたまるかという話ではあるんだが、まあ大方の歩み方はこれでいいとして、これから新しく設定されてゆくであろうマインドセットについて少し考えたい。

やはり今僕は揺らいでいる、叶えられそうな夢、将来の現実、そこへ向かっていくために必要な膨大な時間、その間をしのぐ口実、口実だとか建前だとも言い切れないような、目の前に転がった小さな夢。どれも僕が生きていくために必要なものだ、ざっくり言えば。遠くを見て、眺めるのではなくたしかにピントを合わせて数秒でも見据えて、いかんいかんと歩調を整えるための10年後、20年後のビジョン。自分の、作ろうと企んで作ったものだけで食っていたい。本を書く、絵を売る、友人との共同制作、それは今の交換ノートがベースとなっている、そして共にものを書いて、書くための勉強をしていく学習塾のような共同体。寺子屋、と言ってしまうと鳥羽さんのパクリになってしまう、というかもっと色々パクってることになるか、とも思えるけどやっぱり見たものをそのまま真似して稼ごうとすればバチが当たる、それは直感で分かる、というか最近ちょっとズルをすると2時間以内には痛い目を見ることがバイト中によくあるので、それで知った、つもりでいる。レミちゃんは俺の見据える10年後に懐疑的だ、というのも、そもそも彼女と何かを作ろうとしているのではない限り、俺の人生は彼女の存在を前提としたものとはなり得ない、少なくとも今俺がそうやって考えているようには見えない、とたぶん思われている、というかそう言われているつもりでいる。正直に言って、さっぱりわからないのだ、彼女と成したいことは常に具体的で、僕にとってもっとも流動的なものだから。圧倒的に予測不能。たまに大体わかったという気になってしまうことがあるけれど、ほとんど間違っている。彼女も流動的だ、いや僕にとっちゃ他の人って流動的な人間ではなく、流動体、流水のわりにはとろみがあって規則と不規則を繰り返している存在、存在していることだけはかろうじて温度と声を通してわかる、としか言えないものであり、言っちゃいけない気すらする。具体的に、具体的にものを作りことをなしていく練習を積み重ねていく中で、彼女だけが僕の視点を僕の意図とは関係ないタイミングで、ときに正反対ともいえるタイミングで、抽象へと向かわせる。彼女がそれを望む理由のなかに、僕が忌むべき社会の理があるだろう、あるに決まっている、だからといって俺がそれを、たまたま磨き続けている言葉たちで、あるいは僕がそれらの正しさを盲信して、ねじ伏せにかかるのが正しいわけはない。どうしたらいいか、ほんとわからない。わからないからどうする、具体的に色々やる、たとえば俺のやりたいことを可視化するために、来年の秋には2人で南米にいく。彼女のツテがエクアドルにある。これは抽象的でわかりやすい夢であるようで、俺の生き方に彼女のそれをぐっと近づけようとする、具体的な恣意に富んだ計画でもある。まあ細かいところはこの半年で間違いなく変容し続けるだろうけど、これは実現する。ただしこのわずかな期間の中でさえ、社会の理にのっとって、せめてその上でダンスをしているように見えるような計画の立案は、絶え間なく求められるはずだ。むろん小指の爪先だろうと、人から考えることを奪う怠惰な流れにタダでのってやるわけにもいかない、逃げ道を、ひと2人ならまずは通れそうなくらいのわずかなひび割れを、バグを、いくつかの出口を探しにいく。そのために僕は今足をつけたままどこかへいく練習をしているのかもしれない。


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