イーフトで始まり寿司で終わる
おはようございmさす!丁寧な打ち間違いからスタートです。かなりゆっくりキーボードを見ながら打ち込みましたがおはようございm、のあたりで訳が分からなくなって先にsを売ってしまうところまではいつも通りだったのですが、今日はなんと2回もsを打ってしまいました。一文を打ち込んで見返すまで気がつかないんだから驚きです。
友達からのお誘いでついにefootballを始めてしまいました。ウイイレ時代はめちゃくちゃ課金もしてのめり込んだのですが、途中から何にもなっていないどころか怒りを生み出す装置、それでいてなぜか離れることのできないものと化してしまったので、一度スマホをぶん投げてGalaxyエステンプラスの画面が割れてしまったのを機にやめました。実際にはその後もずるずるやろうと試みましたが、さすがに画面の下4分の1が映らないのは横画面で楽しむゲームをするには致命的で、とりわけサッカーゲームになると得点に直結するゴール前のエリアが片方見えないってことになりますから、失点の悔しさ得点の嬉しさ、ゴール前のテクニック、そのへんを得るよろこびも同時に消失してしまい、となると残るものは悪質な対戦際手のセレブレーションとやたらこもる熱くらいですから、泣く泣く止めるに至ったというわけです。逆に言えばそうまでならないとやめられなかった、というのに今もずっとビビっていて、友達から誘われようが何とタイアップしてめちゃくちゃ盛り上がってようがまたやるつもりは全くありませんでした。だから友達から最近大学時代ウイイレにはまっていた奴らの中でefootballがきてるぞとの報告を受けてもいやー、やらんなあという感じで、即拒否みたいな姿勢でした。でも不思議なことに、また始めちゃったんですね。ふと、いまならいけるんじゃないのか?美味しい部分だけいただけるんじゃないのか?と思ったんです。というのは示し合わせたかのように毎日の日課、書く、描く、録ること、そして家事を早めに済ませる効能をここ3日で感じていましたし、今なら仮にどれだけはまっても「俺にはそれしかない」といことにならないじゃないかと、かつてウイイレを楽しめなくなっていった要因を綺麗にクリアしていけそうな気がしたんです。なにより、生活をどんどん楽しいことで埋めていく、特に金土日なんかは暇な時間をなるべく作らない、しかし金は使いたくないとなると、大学時代終盤のあの充実していなかった、後ろめたく思っている時期で、ある意味負のループを生み出した要因ではあるけれど楽しくてやっていた時間は膨大にあったわけで、まだ関わり方、楽しむ装置の使い方が未熟だったのだとすればこのゲームを今試さない理由はありません。だから意を決して始めました。楽しいです、めちゃくちゃ。ただすごく時間の流れが早い。AI相手とはいえ試合をしていると自然に15分ずつくらい持っていかれますし、ウイイレ時代にはなかったレベルを上げてたまったポイントをドリブルとか決定力とか、好きなところに割り振れるというシステムも大好きなことはわかっていたのであえて避けていたというところがありました。実際にはインストールしたことあったんですけどね、その時は今ほど新規向けのイベントも充実していなかったし、課金していた頃の遺産が残ったままだったのでなんとなく中途半端な気分だったし、なによりまだ楽しいことだけをする練習を始めたてだった頃の僕にとってそれは劇薬にしか思えなかったので数日間でアンインストールしました。あと周りにやってる人誰もいなかったね、それは大きかったかもしれない。誘って見ても良かったけどみんなばたばたしてそうだし社会人にソシャゲをおすすめするのは気がひけるし、またお前それかよとしかならなそうな時期だったのでとくに勧誘には乗り気ではありませんでした。今回は友達が向こうから、しかも複数人で興味の扉を開いてくれたのが良かったんだと思いますね。
いやクソゲーやないかい。電車でやるとクソゲー。丁寧にやらないとクソゲー。3連敗しました。どうなっとんなんと言いたいところですが、なんで勝てないかは明白で、丁寧にやるのがめんどくさいからです。電車だと。家だと丁寧にビルドアップから相手を惹きつけて、ゴール前の局面も焦らずひとつドリブルで外して、ふかさないようにシュート、というのができるんですが電車だともう、できることならショートパスだけでゴールまで辿り着きたいという悪い時のプレーに走ってしまいます。またディフェンスがなかなか難しいですね今作は、とにかくプレス指示が弱い。あまり使わない方がいいですね。ドリブルは強いですが、ダブルタッチを除いて2枚抜きはなかなか至難の業。ボールを受けて一枚はがす、というのは丁寧にやれば簡単なので、それを活かして数的有利を作って、枚数の足りなくなったところを、というのをセオリーにやっているつもりですが、なかなか難しい。なんでなんだろう、揺れとか体勢かな、家で夢中になってやる時はうつぶせでやるので、画面が視界いっぱいに広がっている感じだからやりやすいんでしょうか。となるとできる場所が限定されすぎるけど。まあ色々試してみましょう、家で書いていたおかげで、電車ではついさっき書き始めましたがもう2200字弱まで辿り着けています。ありがたい。とりあえず一回音を録るのを済ませたいから、ゲームしながら撮ってみよう。サイレントモードにすればできるのかな。
電車から降りました。涼しいー。結局電車では一勝もできませんでしたがなんとかなりました。試合をするたびにポイントが貯まって行ったり、試合数に応じて報酬がもらえるシステムもあるのでなんとかなりました。イライラしたけどセルジロベルトゲット。彼をを獲得せずにはいられないぜ。あの選択権でセルジロベルトを選ぶのは俺はセルジロベルト選んじゃうぜ、という類の輩しかいないと思われますが、僕もそうです。雨が結構つよいな。強いと言っても殴るような強さではなくて、霧雨の量が多いみたいな。そんな風もあるのでなかなか凶悪な感じに仕上がっています。ウザい。
さて、もうちょっとだけ書いとくか。かけても200.300だと思うけど。ほんとにあれだな、ちょうどいい数字思い浮かべろって言われたら2か3だな。これやめたいんですけど逆張り思考的には、いま嗜好のほうがさきに予測に出てきましたが、それもいいなと思いました。雨に濡れたので、歩くと赤ちゃんに毛が生えた存在が履く靴の音がします。ピュッピップシュッピッみたいな。もうやんじゃいました。床との相性だったのかもしれません。そしてバイトに行ってくるとしましょう。土曜日か、忙しいなー。
書くぞ、はやくイーフットボールやるために書く。休憩時間に入って、スタッフなら一日2杯まで無料のドリンクを頼み裏の控えスペースでおにぎり2つを食べて、ホットの抹茶ラテであたたまり(めちゃくちゃ美味い、ぼくはほうじ茶ラテのほのかな甘さと香りが一番好き)、この前ヤオコーで見つけた瑞夢のえび味を食べ(たしかジェーンスーのラジオのリスナーからのお便りコーナーで紹介されていた、なぜか3ヶ月ほどの時を経てジェーンスーをTwitterでフォローした翌日に出会った、通販でも無いと買えないと思い込んでいた)、その後いったんイーフトやるかと半ば無意識的にゲームを立ち上げようとしたところで、いやまて直近のポリシーはなんだ、というか学びはなんだと自分に問い、先に書こう、そしてとりあえず外へ出よう、作業場に向かおうと席を立ち、今はトイレにこもっている。使おうとしている人がいたら悪いが、まあ5分くらいの話である。たださすがにもう出よう。
涼しい。涼しいがバリバリの半袖、半袖の中でも短く袖が切ってある感じの無印良品の半袖シャツを着てきたことを家を出て数秒で後悔しかけるも、戻って着替える時間の余裕もないので後悔するのをやめて小走りした朝と比べれば幾分ましなにもするが、こうやって座って書く体勢に入ってみると肌寒い。今日は風も強いし、書き終えたら早めに控え室に戻ることを視野に入れてもいいかもしれない。土曜日なのでフードコートも混んでいて、カフェ店内も言わずもがな。行ったことのないくせによく思っていない控え室は、仮眠をとっている人もいるくらいには静からしい。僕はそういう空間が得意ではない、静かな空間も密閉感のある空間も苦手なので、さながら酢飯も生魚も食えなかったあのころの手巻き寿司パーティーだな、と思った。きゅうりかカニカマ、僕のためにあるのか僕がいなくてもあるのか、あの牛肉炒めの存在可能性は僕本人には一生はかりようのないものであると思うが、あの居心地の悪さだけは微かながらたしかだった。とにかくあの食感、舌触りに食べ物を食べているという動作を感じることができなくて、嫌いだったというよりは焼いてくれ、火を通した方が美味いんだからそれで食べたいと思っていた記憶がある。なぜかバイトを始めた海鮮居酒屋で当然のように生魚しか出てこないまかないを前に、継続的なショック療法を受けたように食べられるようになった生魚、寿司、逆算的に酢飯が美味しく感じるようになったのも不思議である。美味しく感じるというより、たしかにこれと合わせるならこれかもな、みたいな。今となっては火を通すより刺身でいきたい、居酒屋がわざわざメニューに刺身のコーナーをつくるわけも多少理解できるつもりだが、それでもあのころのなんで?なんでこれで食べるの?を感じようと思えばそれができる。見ないふりをしているという部分はいまだにあって、それに蓋をするわけではないが、刺身が好きではない物の感じをそっとくぐり抜けて、地下の水脈を液体になって辿るように体の表面にたどり着く、そうやって流れ着いた意識が僕の目の、口と鼻の感覚とセッションし、うーん美味い、こういう美味さも疑いようがなくあるべきものだ、という感想を抱くことになる。しかしそれが全てではない、疑いようがない、わざわざそれを人に言う必要がないだけで、密かに、生まれたときから何ひとつ疑わずに美味しい美味しいとそれを貪っている者たちを断固として疑い続け、馬鹿にしている者の存在を、僕はいつでも見ることができる。目を細めて、すこし眉間にシワを寄せてやるだけで。
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