頑張れエリックガルシア

おつです。バイト帰りの電車、眠かった。眠かったけどたまたま座れたので長々と各駅で寝ていた。よだれが少しだけ出たので気づいて起きて、バレないように拭った。こういうときはよく眠れているんだと思う、起きた後のスッキリ感からは判別できないけれども。米津玄師が菅田将暉と君たちはどう生きるかについて対談していたとき、その時に限らずかもしれないが、〜だけど、と言えそうなところを全部だけれどもと言っていて、これが動画の中で最も長く覚えていることなんだろうなと予想した。この予想は多分当たる。あと対抗馬としては、菅田将暉がエグいお調子者でよかったことだろうか。具体的には、言われた米津玄師本人も指摘していたが、宮崎駿の最後かもしれない大作についての企画の中で、宮崎駿や鈴木敏夫の年、つまり彼らがあと50歳歳をとる頃にはどうしていたいかという話題について、まあとりあえず一本くらい映画とんなよ、みたいなことを言っていた。あれはなんというか、なんていうんだっけああいうの、まあ今思いついた方の言葉で言うと、景気がいい軽さだなと思った。それでも米津玄師があんたそれは悪いわ、と場を落ち着かせていて安心した。言われてみればヒヤッとする場面ではあったのかもしれない、言われてみればだが。というか暑い。あと一駅というところまで来ている、家の最寄りまで。西日のたくましさがすごい、これを正面に向けて歩くか、そうでないかでこの炎天下を攻略する難易度が変わってくる。そうなんだよな、背を向けていればなんとかなるんだよ。昨日恵比寿でも思ったが、でも赤羽のあたりまで行くとまたちょっと性質が違うような気がした。空気がボワっモワッとしていて、昔光化学スモックがどうのこうの放送していたのを思い出した。そのときは思わなかったが、今これを書いて思い出した。ラッキーなのかもしれない。それにしても日陰は涼しい、全然電車は来ない。僕が利用している外房線は、千葉で乗り換える場合内房線で途中までくると、一本早い感じでテンポよく帰れることがあるのだが、というか景気いいって書いたところ、なんと言おうとしたか思い出した。小気味いい、だ。リズムとかテンポと一緒に使われることが多いような気がするから、パッと出てこなかった。でもパッと出せなかったのは口だけである、いやこの場合は口ですらない。でも明確に頭の部屋が分かれているのだろうか、当たり前のようでどうなってんだかわからない、書きたい言葉を忘れた、出てこない、と言ってしまってもよかったのだが、今日の僕はどうやらそうは感じなかったみたい。分かってる部屋があるのは分かっていて、行き方がわからないでもない、鍵の開け方がわからないでもない、そんなものは部屋ってイメージに引っ張られているだけで、ただの言葉遊びなんじゃないかと思う。分かっている部屋から、どうにも答えを抜け出せないのだが、それはどうせ今これを書いていれば手元に戻ってくるだろう、という予感もあった。やだな。予感もあったっていうの、そういうことにしているだけな気がする。予感はなかった、でもこれでいいという体の指令というか、少なくともその疑問は深追いしないほうが楽だったからそうした。そうしたら、戻ってきた、というかスッと真横にいたのを見つけた。お疲れ様です、と言っていた。おはようございますじゃないんだと思ったが、これはアルバイトのイメージに引っ張られている。腹が減った。もう少しで最寄りの駅に着く。まだ暑そうだ、西日はどの角度から注ぐのだろうか、方角的には右からかな、いや違う、いや合ってた。僕は駅から南側に帰っていくだけど、僕は西と東が瞬時に出てこないから、パッと南に向かっていくのに西は右側にあるというのが頭でわかっていて驚いた。そしてちゃんと右側から日は勢いを弱めながら降り注いでいる。正解!と称えられているようでもあって、多少はマシな気分である。おお、でも結構駅周りのマンションやら建築物との相性が良くて、相性が良くてというか完全に僕が涼しいかどうかしかみていないのだが、全面的に日陰になっていてありがたい。その代わり風は真っ向から体をぶつけてくる。旗、という絵だか言葉だか、その中間くらいのイメージが浮かんだが、ちょうど目に入ったイタリアンのお店の旗は思うようには揺れていなかった、そんなもんなんだな、と思った。そのときは思っていなかったがこれも、ちょっと経ってこうだったんじゃないかということで書いてみた。まだ西日の猛威をかわせている、と書き始めたところで奇襲にあったが、一瞬のことだったのでダメージはなかった。もう少し歩いたら、だんだん開けた道に入っていくからまだらに、というほど不規則でもないような形で、しかし割合としてはそう言いたくなるくらいで日向と日陰が繰り返している。蝉が控えめに鳴いている。ピークはいつなんだろうか、この前うるさかったときの気温も、時間も情景をなにひとつ覚えていない。そういうことからせみの切なさに繋げて何かを言うのはやめておこう。きた、西日を正面にとらえた。いつのまにか僕が追う側にやってきている。余裕があるからだ、まだ体力を削られていないし、さっきたっぷり寝たから。電車で寝ると、思いの外寝ていないのとはまるで違う体調になる。いい方面だ。このまえ久々に大学の友人と亀戸で朝まで飲んだとき、普段朝までぶっ続けなんていうのはとにかく苦手だからか、亀戸→千葉→中野で起きた。特に一瞬の出来事のように思えたわけでもなく、うわ、寝たな、早く帰りてえと思った。とにかく早く家に帰って、シャワーを浴びてまた寝たかった。家の近くの神社の前を通る。ここは有名は日陰である、俺から有名。ここは蝉がうるさいというか、せみの数が多い。前うるさいと感じたのもここだったかもしれない、しかも中野まで寝てしまった時の帰りの記憶だ。また繋がってしまった、おかしなことなのか、これのために書いているのか、よくわからないしどっちでもいいのだが、とりあえずそういうことにしまいだけ、を何回も切り捨てるとこうなって、というフローチャートみたいなものを頭の中で組み立ててみている。最初から、とか上から、枠からではなく、どこからでも虫喰い的に、好きに書いてみている。なんなら書いていない。書いていないが、それはそういうことにしているわけではなくて、そういう嗜みをしている。僕にとっての、体に合うフローチャートとはこうなのだ、と思う、思ってみた。家に着いたので、すぐシャワーを浴びよう。

頑張れエリックガルシア

そんなわけで今日も書き終わる前に絵を描いてみました。僕の好きなバルセロナの、エリックガルシアをかきました。最近ゴツくなって、身体だけでなくちょっとずつ振る舞いとか表情にも一皮剥けた感がようやく出てきた彼です。今年はチームに残ることができるのか。いてほしいですけどね、ナチョフェルナンデスみたいに。マドリードの選手で例えるのもどうなんだと思いつつ、別に適当なんだからしゃーないじゃないかと胸を張っています。やっぱりさっきクラシコを観てきたのがよかったですね、さすがに後半30分くらいからめちゃくちゃ眠かったですが。こりゃバルセロナ以外の試合は今年も90分観れないだろうな、と今に気がついたことではないことから新鮮味の残りかすを抽出してきたところです。おかげでもう3000字、今日はなんてったって、21:30時点で洗濯物干しも絵も文章も何にも終わってなかったんですが、まあいけるやろというのがありました。多分昨日だったら寝る方が大事だから、今日は寝ちゃおうと思っていたはずです。これは変化、確かに昨日待ち時間に、公園の過ごしやすいとはいえない蒸し暑さの中1時間半かけて書き上げられたんだから、無理してとかそういう以前に、いけちゃうんだよということを知ったひうがよかったんですね。いけちゃうんです、僕の、あるいは僕だけではないんでしょう、その身体は目に見えているよりも、もっと強靭かもしれなくて、強靭っていうとムキムキ頑丈だよ!みたいなイメージが浮かびやすい気もしますが、なんというか、いなすって言葉が僕は好きなんですが、どこにでも衝撃をすっ飛ばせる、これいけんのかっていう障壁だかやりたいことだかが現れても、さらっと、しれっとぬるっとこなせてしまう。こなすなんて言葉、あんまりいいように使ってこなかったんですが、改めて観てみるとなかなか見栄えがいいじゃないか。こなすと淡々とやる、ただやるっていう、ここ半年くらいの僕のテーマみたいなものは、繋がっているのはもちろんそうなんですが、なかでも近いところにいる気がして、僕はもう近いところからざかざかやってこうという方針で最近は生きておりますので、どうやらこのこなす、ってやつが重要なヒントになっていくのかもしれませんね。本気でやる、一生懸命やる、面白い、そのへんが僕が好きだった言葉たち、でもいつからいつまでだかよく分かっていなくて、別に今そうだった気がしているだけにも思えてきました。全然やってなかったかも、本気でやってる感じの方が面白いから、みたいな感じだったかもしれない。まあそれでもこなすとは結構遠いところで生きていたんじゃないかと言えそうなんで、今何を証明しようとしてたんだか忘れましたが、まあこなしてこうってことです。ほんともう、キリないんですね、こんなにキリないと思いませんでした、生きるということが。やろうと思えばなんだって、これ始めちゃったらキリないから、初めからやらない方がいい、何がいいかって効率とか、格好とか、雰囲気とか、みたいな。それこそ本当にキリのないものなんだって思うわけです、最近は。じゃあ何もできなくていいのか、人の作ったもんに一喜一憂して、ときには文句垂れてみたり、自分の人生とかいうものに結びつけてみたり。長いっすよ、そしたら何十年も。わかりません、この感覚がまだまだ青いだけなのか、黄色くて食べれたもんじゃないのか、わかりませんが、僕はやるぞ、もうそれでいこうぜしゃーなしに、そのうちしゃーなしじゃなくなるんだろうよって、まあしゃーなしはずっと残るんでしょうが、意外と悪いやつじゃないって最近は思ってます。だからまあ、いつもと同じように、明日も書きます。といって今日を締めますよ。

2023年7月30日

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