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世界で一番アツいアウターに彼は成る

おはようございます!くもりですね、今日は8時から働くよ。明日は15時退勤らしい。このムラがなんともいえずいい。バラバラであってほしい、が昼夜のリズムがガタガタになるほどのものであってほしくはない、ここで僕も、安住のうえでダンスをしたいだけの人間であると気がつく。いやそういう人間ではない、よくない言葉だ、なんだそれ。もう二度というんじゃない。俺はいまアンジューの上でダンスをしたがっている、俺にはそういうところもある、だから偉そうにてめーらいつまでも週5で働いてんじゃねーよしゃらくせー、トロいんだよさっさと奥の方まで詰めてください、とかいうのはそこそこにしておこう。結局ひとを言いまかそうとして言い負かし切れることはないのだし。

とはいえしゃらくせーおっさんどもに屈さず、しかし大きな流れに逆らって歩いていくという感触もなく、ここに立つ。根は張らない窮屈になるだけだ。自然とはるものだ、というかもう動きようのないと思えるほど頑丈なそれがいくつか僕の足には生えている。それすら疑うべき、というか絶対的なものだと君はみる必要がない。別になんでもいいよ、やっぱりお前はそういう人間だ、なんてことないんだよ、そもそもまだ25歳でしょ?

もう錦糸町かよ、今日は1000字いきゃいいとこだなと言いつつ1300字くらい店舗に着くまでに書いておいて、おそらくトイレの中で朝の部が終わる。昼休憩は少し遅くなるかもしれない、ここで3000字近く書けるだろう。近ごろ昼の部の調子がいいのだ。さっさと片付ける、からのさらなる転化。生意気なことを言え、パッと浮かんだことばを書くのをやめて2秒澱むのならばそれはここに書かれなければならない言葉だって言葉だ、それ以外のルートもあるんだよってのは前提として。やっぱりさっさと書き切るのがいいよ、色々できるよ。色々やってもいいし、いま色々やらなくていいなってときはじっとしてて幸せなときなんだからそうしてよう。なんにも減らないよ、またじりじり焦りはじめたらやりたいことをやればいい、そのときはこう問いかけよう、いま何がしたい?

書き直さない、その場でこちらの言葉遣いのほうが好きだと思っても全体の流れとしては最初に書いたもののほうが理にかなっていたりする。千葉さんがそんなことをTwitterで言っていた。こういうのを覚えとく。誰がそんなん覚えとんだ、ってことばかり蓄えたニッチなキメラになる。その先にようやく、一文だけ、ワンフレーズだけ俺にしか書けないものが現れる。これは必ず現れる。大丈夫、間違いない。そしてそれはわかる、自分でわかる。誰の本を読んでも気に入らない部分があるよね、ここサムいな、いつまでそれ言ってんだよ、さっきも聞いたよ。そんなん全部吹っ飛ばす特上の好きがそこには詰まっている。これを書けただけであとはなんでもいいかと思えるような、それは文字かもしれないし、意味を帯びた言葉かもしれないし音かもしれないし絵かもしれない、俺にはわからない、なにになるかは分からない。だから楽しいわけでもない、それはもうそうでないと体がキツいというだけだ。体のためになにも決めずに書く、俺の必要に応じて目の前の文章がなるようになった先に、あるいは流されず立ち、ここはいいかと身を任せを繰り返した先に、そうであったからこそ書きたかったもの、書けて嬉しいものが立ち現れる。それは君の知らないものだ、おめでとう。

1400字を超える、従業員入り口のカードは持ってきたっけ。持ってきていた、これを通さないと退勤のときなんかはまあそこを通らなければいいだけなのだが勤務中両替とかに、てか両替を頼まれたときなんかに従業員通路に入れなくて困る。ピ、するやつ貸してくださいと言わなくてはならなくなる。おさなかったときにかぎって。これは僕にとっちゃ必然の気が大きい。なぜならピッをせずに直接店舗の入り口から、駅の出口から圧倒的に近い方の入り口から入場したとき僕は想像する、両替を頼まれてほんのすこしたじろぐ僕を。だから実現する。これがアサダロジックです。想像できることはすべて前向きに実現する。ならばこんなところでやっちまったあとか落ち込んでいる場合ではない。もっと、前向きに実現させたい夢のことばかり考えていればいい、そして手足を動かさずにはもちろんそりゃ実現しないので、だってなにもつくれていないのだから、また別のこととしてそれはやる。

おつかれさん、眠い食いすぎた眠い。食いすぎたから眠いのではないと思う、とすればあまりにも即効的である。眠いのはなんだろう、朝眠くなかったからかな。僕のルーティンからすれば自然に身を任せ風から風へたゆたっていればこうなる。これはちなみに寝なくても平気だし寝てももちろんよし。ただしベッドに横にならないほうがいいかな、特にいまみたいにドカ食いしたあとは。ドカ食いしちゃったなあ、今日はあんまりメシ食わなくても平気だろうなと9時くらいまでは確かに思っていたはずなのだが。うーん、ジャンプが欲しいがこの勢いのまま買いたくないな、昨日も外食をして、まあ予定より1500円以上安く済んだから今日もいいじゃん、でもいいのだがその前に本も買ったしな、3連弾はちょっとやめておく。ここでワンテンポおかせてもらって、一度実家に身を寄せて風呂にも入ったりしてから考えよう。それでその欲求が薄らいだとして、それが不幸であるとも幸運であるとも、僕はその場に立って捉えることができる。まあねー、この勢いのまま買っちゃって今熟読しちゃって、でも気持ちがいいんだろうけどちょっと違うレイヤーでここの欲求は眺めてみたいな、という気分なのだ、いくつかの気分の中でひときわそれが目立つ、僕はそれに従う。休憩からあがって、残り3時間をきったところ、休憩までの道のりはやたらと長く感じたが、このあとはどうだろうか。ちゃんと短く感じてくれるのだろうか。家に帰ったらとてつもなく眠いのだろうな、動き続けている間はなにも感じない、体からいますぐ仮眠をとれ!との警告音が聞こえない。母が作りおいてくれたものと合わせる味噌汁をちゃっと作って妹がいたら一緒に食べて、めんどくさくなる前に皿を洗う、最近のトレンドは、といっても1週間くらい前のものだが飯を食い終えてから床に座ったり上体を倒したりはせずにただそこに座る。座ってTwitterをながめる。これができるから背の高い椅子で飯を食うのはいい。カーペットや座布団の上でこれを食うとなると、あまりに俺と床とが近すぎる。簡単すぎる。寝っ転がるのが。それはそれでまた別の選択をとることになる、寝るのだ。気持ち悪いんだよな、ほんで起きると。寝っ転がって束の間のあの多幸感、胃がポジティブな空気と水で満たされたあの感覚からはかけ離れて、もうドブ川。とはいわないがなんだろうな、食欲はすでに満たされているというのもあって、飯が食いたくなるような感じのいい景色は頭に流れてこない、あらゆるものが滞留し、色をくすませる、石油ストーブの熱気のこもった小学校の教室みたいな嫌な停滞感に、そのとき僕は苛まれることになる。あれは嫌だよな。なんとかして、寝っ転がらないようにするよりかは寝っ転がってもさっさと気持ち悪くなるまえに飛び起きることができる仕掛けを作らねばならないな。なんとかしないように、って動機じゃ結局楽しくねえから探し続けられない、答えを綴るその文面ばかりが気になって、何探してんだかよく分からなくなる。そもそも答えを探してたんだっけ今、とは考えられなくなる。見つかるのがそれでなくてもいいじゃないかとも。

そろそろ戻るか。座ってんだけどうっぷ、気持ち悪いぜ。もう食い過ぎ。キャラメルのケーキが昨日廃棄になっていたらしく、裏の冷蔵庫にあるのはレアなので一個口に放り込む。プリンがなかったからパウンドケーキの切れ端も食べて、だれかよお土産のなんてんだあれ、あめえお菓子をひとつぶ食べる。依然として腹は減っている、これからが昼飯だよなと一切何も疑わない。おにぎりを二つ食べた段階で突然の天啓、お前食いすぎだぞということらしい。でもなせっかくおかずも作ってつめてもらったしな、これは昼に食いたいだろと、ええいままよとこれも腹に放り込む。美味い。カツオのたたきの昨日の取り分を減らしてまで今日のソテーにしてもらったのだ、美味い美味いと食べたいじゃないか。お腹がいっぱいだ。そろそろそのせいもあって眠気が加速してくる。ちょうど戻らなくてはならない、助かったという感じもある。

お疲れ様!!18:35最寄りに到着。ややゆっくり帰ってきたことになるのか?そうでもないか?まあこんなもんか。退勤時刻の2時間後には達さない、余裕を持って達さないあたりでいつも家に着く、のを思い描く。駅で。風が強くてさむ、と言いそうになるがたいしたことはない。湿気を帯びて肌触りは柔らかいものだ、いつだかの刺すような寒さはどこへいってしまったんだろうか。北か?南か?ほんとにわからない。

街灯がふたつ。一本が二股にわかれて。これを2つとカウントしたいということは僕は疲れている。光の数でしか街灯をみることができないからだ、よりシンプルに、原始にむかってものを見ていくようになる。腹がそれほど空いているわけではないというのに、しかし電車は暑かった。まさか冷房なんて入れられない時期の暖かさと雨だから、もうね、薄着なんだか薄着じゃないんだか分からない格好もしているし。ユニクロのフリースというのはもう一枚、なにか発熱源があると張り切って仕事をしはじめる。朝、起きがけの俺では心許ないようだがあれだけのおしくらまんじゅうを経たいま、ノリノリ、世界で一番アツいアウターに彼は成る。もう熱くないけど、背中かゆい。せっかくお腹も空いてないし先に風呂入っちゃおうかな。

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