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俺たちの6月が終わる

俺たちの6月が終わる、というタイトルでなんでもいいから書こうとしていた。いや、何か、だ。
TWICEのライブを断った、3ヶ月くらいその連絡の仕方を悩んでいた。ついでに、逆に行くのか…?という気になる瞬間がいくつもあった。が、今7月の収支予測をつくっていても思うが、どう見ても払えない。いや、貯金をはたけば払えるが、今はこの貯蓄のリズムで突っ走りたい。いけるところまで、というのは30万円までということ。30万円になったら、坂口さんのパステルをひとつ買いたいかもしれない。いや、買いたい。その165000円は、苦しくなったらそのまま返してくれるからだ。彼は、1週間前くらいにやっていたディグトリオ、という方々のラジオ(番組の名前がそれ?)にゲスト出演していて、そこでまさにパステル画が小切手化している、という話をしていた。上手いこというな、というかそんなこと普通は起こらないので、はじめてその言葉とその言葉が組み合わさったことで、そんなんもありなんや、と僕が面白がっている。新しい、けどツルツルピカピカしてればいいというものでもない、なんか擦り傷とか凹みとかあるし、つぎはぎも、今木の話してるはずなのにあるきがする、のに、おしゃれだ。かっこいいイカしている。という話もまさにしていて、というよりよくあることだが、それを聞いたぼくの中にそういう考え方が内面化されて、というだけでもないのだろうあらかじめあったが無自覚だったひとつのセンスが呼び起こされて、あっ、という間に、(それが長くなることもある、)俺がそれを言っている。センスが無自覚な状態に触れてもらったんだ、とせめて自覚的であれば、俺が無知のダサさに陥ることはあまりないんじゃないか、それも前もってビビるようなことでもないのか、しかし。

今日はこまぎれに文章を脱稿していくことになりそうだ。脱稿って言いたいから、組み合わせが変でも使っていく。たぶん文章というよりは原稿を、がいいのだろうが、原稿を脱稿、かぶってるのか?その、音がかぶって見栄えが悪いから、みたいなのは最近気にしないでガンガン進むことにしているのだが、ちょっと調べてきます。脱稿 例文で。そうだな、「作品名」を脱稿する。とかだな。それでいったら原稿を、でもまあいけるのだろう。文章をはおかしい。おかしいが、今回に限りOK。勉強のログとして必要な一文である。

さて、気づけば先日書いたものを頼りつつ書き切った今日の一本めの文量と並んでいる。こうなると、だんだん今日の俺に自信がついてくる。1日休みを挟んで、それも望んでやったんだが、今回はちょっと次の日の朝ソワソワした。ウワー、昨日書けなかった、と、むちゃくちゃな感じで。


6月が終わり、7月が始まるというのはちょっと、考えてみれば忙しないことである。だからなのか、僕はこの月と月のはざま、初めて月末と月初めを自分で定義した。ライブを断るまでが6月といった具合にだ。そしたら言い出すのはまず7/1に、7/1の夜10時くらい、いやもっと前か、バイトの帰り道に家の前の神社の前の石垣で、いや石垣じゃない、あの街路樹の、街路樹ともいわないかもしれないが、石で作った植木鉢みたいな、この前天竜川ナコンがそこを椅子と認識したものだけが座れる椅子、みたいに最近の動画でいっていたような、白みがかったゴツゴツした石のところ、あそこよりは広い、多分神社のあそこは座るために作られている、というかよくよく思い出すとごつごつもしておらず、真っ直ぐ平らに磨き上げられていた。木の枝とか雑草とか砂とかがどうしても乗っかるし、あの日は軽く雨も降っていて、まだらもようになっていたので僕はごつごつしているように感じたのかもしれない。そこで10分、弾き語るようにしてみんなに語りかける動画を撮った。最終的には20分ほどの尺になった、20分を超えたらアップロードが大変そうだと思ったのもあってそこで切った、自然ともういうこともないような気がしていた、あとでアップロードをしようとスマホからYouTubeに動画を上げる方法を調べたら、スマホだと15分未満のものしかあげられないと書いてあった。
新小岩。
ので、写真フォルダのところからカットの編集、というか間のこまかいところではなく、動画の始まりと終わりの時間は簡単に調整できるので、それで2部構成にした。以前、そのための台本ともいえるが、親愛なるオタ友へ、という文章を書いてそれは参考資料として一緒に送ったのだがみんなに、それと同じタイトルを動画につけようとしたが、はやく風呂に入りたかったし、すこしでもアップロードを早くするために、またこのやり方でアップロードができない可能性もあるから、さっさと試して風呂入って、あがったあとにまた考えたかったので、タイトルはつけずに投稿した。風呂からあがると動画はあがっていなかったので心配に、いや一本めはあがっていたか。2本とも投稿ボタンを押してから風呂に入った。なんか、上書きされて片方しか反映されないんじゃないか、と、スマホからじゃアップロードの進み具合が確認できなかったので心配になったが、まあ一本めがあがったので、2本めの投稿ボタンをもう一度押した。そうしたら、すぐにあがった。5分もかからず、しかも2本、2本めがあがっていた。どこかにデータがひっかかっていただけだった。こちらでそれを外してやる、つもりもなく、便秘のときさらに飯を食ってやるような感じで適当に動画をもうひとつ突っ込んだら、ポンポンっとあっさり出た。タイトルは2024年7月1日、となっていたのでそれでいいやと思った。2本めには、スペースあけて後編、とだけつけた。

3人はその日の晩に動画も文章も見てくれたようだった。俺が死とかなんとかばっかりいってるから、神妙に捉えてくれたのか、あとはあまりの物量にガチを感じ取ってくれたのもあるだろう、すごく、心に沁みる返事をくれて、それで俺のライブはなくなった。代わりに、動画でも言ったけど、あと原稿でも、いや秘密のメモ帳に手書きで企画書を書いただけかもしれない、「つきましては韓国料理」というものだが、俺が一万円、ここ3ヶ月、俺が一撃のイベントに出していいとしている上限の金額、を出資して好き放題飲み食いするというやつだ。あれ、降り忘れた。まあいいか。ちょっと早めに来てよかった。

好き放題といっても25歳、うち僕以外けっこう稼いでいる社会人3人のいる夕飯会だから1万円じゃはっちゃけられる分なんてたかが知れているかもしれないが、まず俺以外の3人は偶然にもお酒がほぼ飲めない。まじかよ、なんか停止信号みたいの引っかかってんだけど。俺ここから一駅戻らないと、まあ50分過ぎにはつくか、ちょいギリだな。寝てもないのに各駅電車で降り忘れたのは久しぶりだな。

まあそんなわけで、本当にやりきった感じがあった。また、俺の真意というかガチでしゃべった場合の文量をそのまんま届けることができた、人ができた。それも、3人同時にだ__。

こういうとき、味方を増やす、みたいな言い方を前はしていたが、やめた。人を試すような言い方は、俺が無自覚にやっていた、人に真摯でない態度のひとつ現れだった。こうではないやり方で、俺のさびしさをみんなに表明する。というか表明でもない、そんなワンマントークライブみたいな喋り口ではなく、伝える。ほんとうはね、というか、俺はこうで、これができてこれができないが、お前らと友達だ。というのを言う練習。難しいというか恥ずかしいが、ほな、気の持ちようであっさりできそうな気もするが、やはり難しい。恥ずかしさというのもあらゆる角度から、その根源を探究していかないと、和らいではくれない。まあ、恥ずかしがるだけ恥ずかしがっちゃえ、そういう時間だ、恥ずかしがることを満足するまでやって、まずは足るを知る、若いんだからまだ、というかそういう時間の中にいて自然なんだ、そういうもんだ、と声をかけてみるのもいい。8:47になんだかんだで駅に着く。

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