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わたしと2017年

まとめのようなものを残しておこうと思う。

2017年という年はわたしにとっては28歳から29歳になった年で、良くも悪くも「加齢」についてだとか「自己と年齢のつりあい」についてだとかを意識せざるを得ない一年だった。
忘備録というか、ひとつ身長を測るような気持ちで駄文を残しておこう。

基本的には受け手としての時間が長いのでまずは偏愛対象について。

・OKAMOTO'Sにどっぷりとハマる

これは今年のわたしを語るには外せないもので、本当に毎日毎日絶対に一日も欠かすことなく、彼らの楽曲なり発信に触れ続けていたし心待ちにして過ごした。
元はと言えば、高校の後輩が去年の紅白で星野源の後ろで、なんとわたしの大好きな長岡亮介氏とともに演奏をしているということから現在の彼らの状況を軽い気持ちでみておこうというものだったのに、おかげさまで年が明けてからは完全に沼のなかにいる。今私が1番楽しみにしているものは1月にあるツアーファイナル。

椎名林檎を好きなぶんには平常時の私であるだけなのだけど、もはや完全に時めきが混ざってしまってからというもの、自分の熱量を持て余して初めて「専用アカ」なるものを作ってしまいました。おかげさまで捗っています。

彼らの何がわたしを惹きつけるのか考えているのですが

・紛れもない音楽オタクであること
・発表する作品が現在の彼らにとってのもがきと必然性に塗れていること
・互いに心を許しあってる同級生感

こんな感じで言語化されています。

・偏愛対象への熱量が落ちるという経験

基本的に好きなものに対しての熱量が落ちる、という経験をしたことがなかったから(むしろ落ちないことで困っていることが多かった)のだけどそのOKAMOTO'Sにハマってからというもの、目に見えて昨年までハマっていた偏愛対象への熱量が落ちていった。

これは初めての経験だったので精神的になんだか意味もわからないのだけど参ってしまった。心待ちにしていたブログの更新を見逃す、アーカイヴのされないライブ配信を見逃す、新しいリリースニュースすら見逃す。何かを好きになるときは、ストイックに、そのもののための場所を自分の中に作るように距離を持っていたので、

彼が持っていた私の脳内の占有面積(もしくは移動時間等で使われる実際的な時間)がみるみるうちに取って代わられていくことに、自分が無自覚であった事(実際かなり盲目的な状態だった)はそれに気づいた時はかなりショックだった。

そして冷静に考えれば考えるほど、作り手として与えられてる環境や、実際の作品や、私との関係性なり境遇なんかがそれまでの偏愛対象の完全なる上位互換としてOKAMOTO'Sがいて(というよりもオカモトコウキ氏か)私はそのまま飲み込まれていったことが明らかだった。

椎名林檎にしろ珈琲にしろアルネにしろ、好きなものを、一種固執するようにまでして固定してきた私にとっては、自分がそういった気持ちの移ろいを自然にしていることが、まるで自分に対しての裏切りのようにすら思えた。。誰に悪いわけでもないのに。

まあ、自由でありながらストイックに物作りをしている男の人って恰好いい。ということに尽きるのだけど。

長くなったのでいったんここまで。
アウトプットについてもかかなきゃ。

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