【鎌倉殿の13人・第31回】頼朝と頼家に関する因縁と頼家の命運について

鎌倉殿の13人の第31回では頼家も父・頼朝と同じように病に倒れ危篤となりました。健在であったころ、頼朝は「天命であれば受け入れる」といい、頼家は「天罰を恐れていない」と言っており、実際に天罰を受けるような厳しい判断もしてきました。
この記事では今までの因縁が現状にどのように結びついているのかを整理した上で、まだ残っている因縁が今後の展開にどう影響してくるかを予測します。あくまで与太話の一環として、点と点を結んで星座を作るタイプの考察だと思って読んでください。

八田知家と頼朝・頼家

ドラマでは頼家の命で全成を誅殺した八田殿ですが、基本的には中立の立場をとっており、頼朝との関係は薄いと思われるかもしれません。
しかし、八田殿は初登場した際、鎌倉中の道を掘り返して罰が当たらないのかと心配する義時たちに対して「罰が当たるとしたら命令をした頼朝」と回答しています。この八田殿の考え方は全成が嵐を起こして他の誰もが恐れおののく中でも八田殿だけが全成を誅殺できたことにつながりますが、頼朝のその後の行く末を考えると少なくとも作中ロジックとしては「天罰を受けるような行動は命令をした者に罰が降りかかる」というルールが成立しているように見えます(ここまで書いて思ったのですが、作中最強格の暗殺者である善児が命令によってでしか人を殺さないのは自分に対する天罰を避けているのかもしれません)。
では、今回、頼家が病に倒れたのは全成の誅殺を命令したことによるものなのでしょうか? それとも、全成の呪いが効いているだけなのでしょうか?
僕はこれについては第29回「ままならぬ玉」にヒントがあると考えています。
この回の中で、念仏僧を処刑するかどうかを決める際に、頼家は「天罰など恐れていない」といいますが「子どもたちに天罰が及んでもいいのか」と時房に諭されて、黒衣を剥がし鎌倉を追放することのみで場を収めます。
この黒衣を理由に弾圧したエピソード自体は吾妻鏡にありますが、子どもたちに天罰が、の部分は三谷幸喜さんの創作です。頼家の子どもたちが過酷な運命を背負わされることを踏まえると、(頼家の病は全成の呪いによるもので)全成を斬ったことによる災いはこれから一幡と善哉に降りかかっていくのかもしれません。

善児と頼朝・頼家

第31回の最後で「神仏のご加護」があったから頼家は病床から回復したと言われていました。助かる見込みがないときの習わしとはいえ、頼家は床に臥せった後とはいえ出家をしているので神仏の加護があってもおかしくはないといえますし、実際、頼朝もわずかな間とはいえ回復して政子と話をしています。
とはいえ、自分が寝ている間に心が通じ合った側妻を失って、息子が行方不明という状況は神仏に強く守られているとは思えませんし、頼朝の観音は政子を経由して義時に受け継がれていることからも、頼朝の天運は頼家に引き継がれていない可能性が高いと思います。
そこで考えられるのは頼朝が政子に会って話をするために奇跡を起こしたように、頼家にも相応しい結末が用意されておりそのために回復したという線です。
そう考えると気がかりなのは、頼家が生まれるとき千鶴丸の魂を鎮めるために伊東の親子を殺したものの実行犯の善児が生きているということです。千鶴丸を殺した因果が殺しを命じた伊東親子に返ってくるというのはおそらく作中ロジックとして正しいですが、千鶴丸から頼家への怨念を善児を生かしたままで解消できているのかについては不明瞭です。
善児は伊東、梶原から義時の手に渡っています。千鶴丸の怨念がまだ活きているのであれば、義時の命によって善児の手によって頼家が暗殺されるというのはもっとも可能性の高い展開の一つだと思います。
来週以降北条家と頼家の関係が悪化することは必至ですが、どうなるか楽しみにしています。

最後に

土曜日の13時から大河の再放送の同時視聴スペースをやっています。
今回書いたような話をつらつらとやっていますので、よろしければTwtterのフォローと参加をしていただけますと幸いです。


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