Ise-04 平塚川添遺跡
苦味際立つ無糖缶珈琲の妻はやはり対称的にフルーティーな人。そう、トロピ=カーナさんと呼びたい。
そのカーナさんが私に自由な時間をくれた。
車を走らせた場所は朝倉市にある。
周囲の風景は田園が広がる平らな地形。
古代の人の暮らしもこんな風景を眺めていたのではなんてタイムスリップしてしまいそう。
しっかり近代の建物が写っていますが想像が追いつかない人は消しゴムマジックで見て下さい。
当時の橋は丸太を数本並べただけなのかも。
原始的な生活を想像しつつ
弥生時代は目の前の橋と遜色なく両側に転落しないような手摺りもこれよりもっと高めに造られていたかも。
など独り言いってる間に木立の向こうに建物らしきものが見えます。
本格的。 当時の暮らしそのものが再現されまくってます。
当時の暮らしの器具が置かれている。
日陰にくつろいで高床の下を見上げると倉庫部にネズミが侵入出来ないよう柱の接合部に板がはめられてます。
中に入ってみます。
自然の明り取りだけでこの明るさ
夜、煮炊きなどすれば充分雰囲気のある暖かい空間でひと家族の賑わいが聞こえてくるようです。
この施設は以前紹介した
Ise-01平原遺跡
Ise-02やよいの風
Ise-03板付遺跡
もの以上の完成度です。満足度です。
再現度が高い分、想像力・ロマン力が発揮できないのが残念かも。(*´艸`)
この公園はまだ一部だった
縄文時代後期の遺構と弥生時代の暮らしが混在。
その上、古墳時代のものまで上の写真は紹介してます。
ここへ来る途中の車からの風景は幾つかの川を横断したり並走したりで平野が続く見晴らしでした。
作物を栽培するには適した地であり多くの実りが人の暮らしを安定させる何よりの証拠が広がっているように感じます。 その実感が弥生時代に留まらず縄文時代や古墳時代まで交錯していたなんて。
( ゚д゚) スゴ
この公園を飛び出します
下の写真は朝倉市近郊の遺構の紹介。
(*´ω`*) ウットリです。
板付遺跡、三雲遺跡(やよいの風公園も)が上の写真には紹介されてます。 そして吉野ヶ里遺跡も。
弥生時代に活きた人の繋がりを北部九州の地図で示されてます。
縄文から弥生の転換は保存の効く米が、中でも焼畑農業の米栽培から水稲栽培の普及が大きい。との説と重層的に米作りの技術が流入するなら人の交流も当然あり、土木や文字や鉄、調味料や海洋術なども自然と受け入れられたように感じます。
それは、北部九州に留まらず四方八方に峰を越え海の波涛も越える広がりを見せて当然でそれが自然ではと感じる。
再現度の高い施設群(竪穴式住居や高床式倉庫など)を見てロマン力が萎えてたのが復活して来ました。
ここまで来る時の田園風景を見て勝手に妄想してたのが写真の説明に後押しをして頂いたように心強く思えました。 まさに古代の人の息づかいがそのまま現代にまで受け継がれていた。と。
(*ˊ˘ˋ*)。♪:*° 缶
この一日 私を解放して頂いたカーナさんに感謝。
追伸
以前
“歴史ロマンの物語りについて” と題した中で
G 魏志倭人伝
Ise 遺跡
Kof 古墳
の名目でこれまでの序章を構成してきました。
まだまだ遺跡巡りは現地に赴いていきます。
が、その上で
C 歴史年表 と N 新聞記事 とを新たに追加して、この序章にて紹介させて頂こうと思います。
以上、長くなりました。お付き合いありがとうございました。m(_ _)m
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