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C-02 大陸は戦乱 民は混乱 身の処し方は様々。

わずか150年間(約150年~約300年)の北アジア(匈奴)と東アジア(主に中国の後漢以降)の目まぐるしい時系列が並ぶ年表。

北アジアと東アジアが主な年表

 烏桓(烏丸とも)と鮮卑と匈奴の攻防が数年毎に繰り広げられるモンゴルの平原。
遊牧民のその殆どは馬を操り移動をする為定住せずゲルのような移動式住居を活用する。
匈奴も南北に別れたり、曹操が烏桓を破るなど中国内部はモンゴル平原の騒乱以上に大混乱の様相が上の年表でも読み取れる。

東アジアの中国(後漢、魏、呉、蜀、晋)に敦煌の西側にあるタクラマカン砂漠の周辺に位置する西域諸国(楼蘭、ホータン、莎車ヤルカンド、亀玆、ほか)との駆け引きはとても複層的。
166-党錮の獄
184-黄巾の乱
などを受けて後漢は衰退
三国志の舞台が整う。

因みに約100年遡ること
57年 前漢時代に倭国は入貢して「漢の倭の奴の国王」金印を光武帝より賜わる。

91年 北匈奴が漢に破れ敗走。この時の部族の一部がフン族と呼ばれて南ロシア草原に現れてローマ帝国を衰退させる動きに繋がっているとも。

その当時の倭国という日本はどうしてる?

弥生時代、弥生文化……

全てが想像。 確証がない。 文字がない。 口伝はあるが、ぼやかされて解釈の幅が…。 何かあるだろう。 それが、そのように主張して、期待させるのが古墳であり、遺跡であり、出土品の数々になる。
目に触れる物証が増えるほど霧が晴れていく。
そして、その向こうの全容が次第に…と高まる。
遺伝子解析、DNAなる超専門性の微細な検証からも人間のルーツを辿る。

今の私たちの生きるクセ。
日本人と呼ばれ定着している文化がある。
顔つきにしても、祭りにしても、宗教の寛容性にしても(神社や寺、占いや御守り、三社参りやXmas)

海を渡り、流れ着いた先がこの日本でそこの原人は、渡来人を受け入れて来た。
何故か?
メリットが無ければそうしない。
そんな打算的な思考性は横に置いておいて。

単純に困ってる人がそこに居た。
身の危険を感じさせない人が長く居着いていた。
顔なじみになり、その集団の営みが見えるように。
子どもの遊びや食の自給を介して縁を育む時の流れもある。
これらは痕跡としてなかなか遺らない。

貝を食べた殻が貝塚として。
煮炊きをした痕跡が。動物の骨が、花粉が土器の付着物から確証が。
しかし、それらが原人なのか渡来人のものなのかそこの確証が不鮮明なまま。

表題に戻ると
大陸の戦乱で民が混乱 流れ着いた先がこの日本だとすると
というストーリーで
確かな歴史が書物が遺跡が積み上げられた外側の世界を見る中に
倭人の息遣い、痕跡を辿り、それを頼る中に
空白の部分を透かし垣間見る楽しい機会としたい。
いや、素人の私にはそれしか出来ない。
また、専門的な言葉の羅列は門外だが日常の平易な感情を当時を暮らす人々の心情に寄り添う言葉として表すことは(想像、脚色)出来る。

世界の謎
先に出てきた、フン族や、楼蘭の不思議など興味を持てばその先に「なるほど」と魅力的な発見が待ち構えている。

その魅力の発見が日本の空白を埋めるきっかけになんて、なる様なら胸躍るし、犬だったらちぎれるくらいシッポを振りまくっている状態だろう。

それは、さておき
一つの視点として、世界の年表から見てみたいロマンの広がりを綴ってみました。

(*ˊ˘ˋ*)。♪:*° 缶  2024.0824

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