雑念の日記

当初,この日記を書き始める前に,5日間だけ続けようと決めました.今日で5日目です.終わりにします.想像していたよりあっという間でした.このあっという間という言葉にはもちろん,時間を忘れて取り組んだというポジティブな意味だけでなく,過ぎ去っていった時間を振り返ることしかできないやるせなさが含まれています.でも,後悔しているというわけではありません.毎日これを書くために1時間程度の暇を要しましたが,それでも,この自分の雑念を文章として残すという作業は,私の心と生活に,透き通るような落ち着きを与えてくれました.なんの価値にもならないであろう作業に毎日それなりの時間を費やすというのはなかなか不安なところがありました.私は,成果を出すためには,一日という小さな鞄に,どれだけ多くの荷物を詰め込めるかが重要だと信じていました,というかそうしないと不安だったのです.しかし,どうやら人生というものはそんなスーパーの詰め放題みたいな単純なものではなく,Apple製品のパッケージみたいに美しく物を入れ,どこに貼れば良いのかわからないリンゴシールを添えるみたいな余裕を持つことが大事なようです.少なくとも,私はそうしていた時の方が,人生というものを楽しむことができました.日記を書くという,一見無駄な作業は,実は時間の塊を人生から奪うのではなく,瓦解して無駄になるはずだった時間をきれいに修復してくれるということに気付けました.今回で一度終わりにはしますが,また人生に希望が見えず,時間が崩れてしまいそうになったら始めようと思います.

今回私は,ただの日記ではなく,雑念の日記としてこれを書き始めました.何故そこを強調するのかというと,私は,この脳からでた消しかすのような日記とは別に,ただただ事実しか書かない日記というものを,おおよそ5年書きつづけています.S&Mシリーズの犀川創平に憧れて始めたものですが,今では私の人生の一部になりつつあります.もし私が記憶喪失になっても,そこには私が無駄に過ごしてしまった日常が記録されています.ですが,そこに記されているのは単なる行動の事実であり,その時何を考えていたのかはほとんど記録されていません.これは非常にもったいないと思います.何故なら,私たちの行動というのは,そのほぼ全てが脳が下した命令の結果であり,行動をするに至った思考の過程こそが,この世で真に一意になり得るからです.もし私がランニングをしたという事実が書いてあっても,それは行動の主を他の誰に置き換えても成り立ってしまいます.でも,筋肉体操を見て体がうずいて,ランニングにでかけた,地面のアスファルトの複雑さに見入りこの世に真理なんてないような気がした,とかかけば,きっとそれはこの数十年の歴史の中で一意に特定できる出来事になります.本当はそういうことをいちいち書き留めていきたいのですが,人生そんな余裕のある人間は多分バカみたいに売れてる小説家ぐらいしかいません.でも,1日に1時間ならできるということが今回わかりました.多分何年か経っても,これを見れば,こんな恥ずかしいことをしていたんだと,その時の自分に気持ちと一緒に戻ってこれると思います.人生は過ぎていくし,それを振り返って後悔するばかりですが,自分は時間をドブに捨てつづけていたのではなく,それなりに精一杯生きていたということをいつでも思い出せるように,明日からもがんばっていこうと思います.

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