無機的なこころ

私の日常というのは,そのほとんどがパソコンの前で過ごされます.インターネットをサーフィンしたり,やらなければいけないことをしたり,作りたいものを作ったりとそういう具合です.やっていることはどれも,私が望んで進んだ道の結果であり,特に大きな不満はありません.私が達成したい目的を実現するためのツールとして,インターネットやパソコンというものはまさに神器と言えます.あれこれ考え,プラスチックの板を叩けばいろんなものが作れる.すごい世界です.21世紀に生まれてよかった.でも,時々紙で本を読んだり,鉛筆で文字を書いたりすると思ってしまいます.パソコンで全てを解決するような世界で生きていたら,心が無機質になってしまうのではないかと.物事を達成するための正解の道筋をジグソーパズルのように見つけ出す.考えた道筋を,意味しかない単語の羅列としてペタペタと打ち付けていく.結果が出た時はもちろん嬉しいのですが,その間の私は,ほぼ完全に感情を失っています.入力を与えられて結果を返す,工場の機械になったような気分です.その一方で,料理をしていたり,こうして何かを書いている時というのは,心が果汁で満たされたようにフレッシュで,人間としての生を実感できます.どうして,そのようにフレッシュな行動だけで生きていけないかとよく考えるのですが,それを押しとどめる大きな理由はお金と,得られる結果が与える影響の大きさかと思います.基本的にそういう私にとってのフレッシュな行動をする職に比べ,パソコンをいじる職というのはお金を得やすいような気がします.この何年かで実感しましたが,最低限のお金というのは人生で一番大事です.それを思うと,安定な方面を目指してしまいます.そしてもう一つ,フレッシュな行動をして得られる結果が与える影響の範囲というのは,ローカルになりがちです.料理をしても食べるのは私だけだし,こんなものを書いても読む人はほとんどいません.そしてこれらを食べたり読むのに時間を費やしたことすら忘れてしまうでしょう.でもパソコンやネット上に作られたものというのは距離など関係なく届き,人々に触れてもらえます.やっぱりいろんな人に作ったものを見てもらえた方が,やりがいがあるんじゃないかなぁと思います.使ってくれる人が多いというのは,お金にも繋がるような気がします.

こういう形で,私は心のうるおいと野心を天秤にかけて生活しています.天秤が倒れないように,どちらかの不足を埋めるような毎日です.そういう風に生きてきた自分を見つめ直すと,非常に,何もかもが,中途半端な人間だなぁと思います.社会に目もくれずやりたいことをやっている人,頑張って社会に影響を与えようと成果を出している人,どちらも羨ましく見えてしまいます.彼らにも間違いなく心配というものはあるのでしょうが,恐らくそれらは,背水の陣的な,物事の成功に不可欠なものであって,私の抱えている,臆病さに起因するただ自分を押しとどめ時間を無駄にするだけのものとは違います.人生,やりたいことを見つけないと生きていけないとは言いますが,これこそというものを見つけることこそ真に難しい気がします.

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