さばかん2

世俗から解き放たれたせせらぎの中にいる.築50年のさびれた部屋にいながらこんな体験ができるんだから,破天荒な冒険というのはしておくべきだ.でも,そんな風に感じているのはこれを書いている今現在の自分で,そのとき棚の中にいた私はあいもかわらずさばかんに頭を支配されていた.破壊したパイプから漏れ出した水に足を濡らされ,すごくイライラしてた.だって考えてほしい.釣りをしていて,大物が釣れると思ったら引っ張られて海に落ちたなんてことになったら,きっと気分が落ち込むどころか,二度と釣りなんてしたくないと思うだろう.しかし,私のさばかんへの執着は,そんな世の理を超えていた.きっと急に兄弟から,親戚が亡くなったという連絡が来たとしても,私の住処を震源とするマグニチュード20の地震が襲ってきたとしても,私はさばかんを探すのをやめなかったと思う.それぐらい,さばかんが私に植え付けた渇きはすさまじかったのだ.棚の中で周りを見渡し,さばかんがそこにはないことを深く理解した私は,苛立ちを足から吐き出すような勢いで棚の扉を蹴り壊し,外に出た.周りを見渡すと,私が叩きつけどうでもいい缶詰達が,汁を漏らしながらうずくまっていた.まるでフランス革命に便乗して反逆してきた市民を一人で蹴散らしたような気分だ.争いの原因が自分にあって,その無残な結果の原因も自分にある.平常時だったら,きっと自分の器の狭さにうずくまりながら泣いていただろう.しかし私は冷静に,家の中からさばかんを探し出すのを諦め,スーパーに行くことにした.きっと家のどこかにさばかんはあるんだろうけど,買いに行ったほうが早い.急がば回れという判断を下したんだと思われる.そして何より,スーパーには人が一生で食べる以上のさばかんが陳列されている.そこに頭を埋め込む自分を想像していたら,口の端が上がってきた.そして目は力づくでこじ開けたように見開いていた.その時の私はたぶん,スマイルマークをそのまま顔面に移植したような表情をしていたと思う.そんな縫い付けられたような笑顔ともに,私は雨の中を,傘もささずに,靴も履かずに,14万のコートを着たまま,スーパーに向かって走っていた.途中,排水口に足を引っ掛け顔面を地面に叩きつける羽目になったり,無灯で傘さし運転をするバカに轢かれたりしたようだが,多分そのときの私は気づいてすらいなかった.さばかんと共にある自分というイメージは麻薬以上に私の理性を破壊し,それどころか私に成り代わろうとしていた.人間,


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