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『斜陽』太宰治

20歳の頃以来に読んだ。
悲しい気持ちの時に読む太宰は良い。
彼の書く文章は優しい。
キザで、かっこつけで、だけどどこか恥ずかしそうにはにかんでてるのが目に浮かんで。
この男は人の弱さを、そして人間を心底愛していたんだと思う。人生が充実して、楽しくて仕方がなくてそんな時に太宰治が面白いと言うやつがいたら、そいつはペテン師だ。
そいつに太宰のなんたるかなんて一生分からない。わからないで結構。お前とは、友達になどなるものか。

あぁ、いけない。
また酒になんか酔って好き勝手に書いてるからこんなふうになってしまうんだ。
太宰を読むと後遺症みたいにこんな文章しか書けなくなる。それだけの魅力がこの人にはある。彼の人となりがそのまま文章に表れている。特に、斜陽には心をグッと掴むような言葉が多いように思う。

「学問とは、虚名の別名である。」
「不良でない人などあろうか。」
「人間は、嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をしているのである。」
「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。」

初めて斜陽を呼んだのは、先述の通り20歳のころで僕はアメリカにいた。
当時の僕は、周りを小馬鹿にしてプライドばっかり高く、その癖、臆病者だから周りとは馴染めずいつも燻っていた。
無知で無教養で、グズで、かっこつけでそのくせ決まらないからキザにもなれない。今思い出しても、恥ずかしくてたまらない。
そんな僕は、10冊ばかり日本から本を持っていった。その中の一冊がたまたま『斜陽』だった。

この作品は、太宰の後期の名作だ。
元々、斜陽という言葉には「没落する、衰退する、陰る」などの意味は無かったが、この小説の発表以後で、国語辞典にこれらの意味が加わったことから考えてもこの作品が社会に与えた影響の大きさが分かるだろう。
物語を簡単に要約するならば、4人の人物が戦後の動乱の時期に破滅へと緩やかに進んでいく様子が描かれている。
登っていた太陽が沈むように、緩やかで悲しげに、それでいながら美しく破滅へ向かっていく姿は、まさに斜陽。

今回改めて読んだが、今も初めて読んだ時の感じ方から1つも変わるところはない。
やっぱりこの作品は面白い。
客観的にかつ論理的に、この作品の良さを語ろうとすればいくらでもできるだろう。彼の過去の作品の特徴や、その当時の彼はどんな人生を送っていたか。太田静子と彼の関係やこの物語の構想を練るきっかけなった日記のことまで語り尽くしたらキリは無い。
しかしながら、僕はこの小説をそのような視点で語ることを憚られる。
理屈ではない美しさがここにある。

この物語は喜劇かそれとも悲劇か。
M.C マイコメディアンこの言葉の意味するところは何か。
革命は成功したのか、否か。
理屈で説明できない世界を感じるのは何よりも自分自身だ。
太宰治の1番の魅力はそこにある。この問いに答えなんてない。それにわからなくて良い。
ただ文字を追いかけて、たった170頁あまりのこの物語を楽しんで欲しい。

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