竜成の生い立ち①

伊達本家の当主大婆(季代)は血筋上当主になるべく男児がよく功績残さぬまま早く死に至るため『伊達政宗公の再来』を目的に呪いを帯びた祭りごとを行ったその為なのか否か
伊達政宗と同じ誕生日に男児が誕生したそれが竜成である
伊達政宗が"独眼竜"と呼ばれたように彼の名には"竜"が入っている、妹の花畄奈は竜成の誕生10ヶ月後に望まずして身ごもった子で母親に似ていた事から大婆に嫌われてしまった。
竜成と花畄奈の2人が育つ中、竜成が病持ちで身体が思わしくないと解ると尚更大婆は健康そのものな花畄奈を毛嫌いしていく時には花畄奈に酷い仕打ちをする事もあり、知る限り竜成は病で苦しんでる時であろうと大婆に食って掛かり花畄奈を救ったという、花畄奈が大婆から蔵に閉じ込められた時いわく付きの刀(亡屍羅刹)の在る蔵だったため花畄奈はとても怖がり大雪だったため寒かった、低体温症と喘息により床に伏せていた竜成はいつもは傍に居て自分を労る妹が居ないと探した時蔵に閉じ込められてる事に気づき蔵の扉を叩き壊し花畄奈を救出後、喘息で発作起こし低体温症で意識も朦朧としているだろう状態で大婆に木刀で啖呵切り激暴れし「ふざけんな次やって見ろ婆で在ろうと許さん!」って大婆に喝入れて驚かせてる不屈の精神この頃竜成は8歳であった。

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