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2024年、春。平面と立体と、観る人と、作る側と。

「やりたいことはなんですか」
「好きなことはなんですか」

その質問で返ってくる答えが
「それは他人のものでは??」となんとなーく思うことがなんだか増えました。

都会とか、人が多い場所に行くと
なんとなくその理由も分かる気がする。


もうちょっと縦に伸びてほしいな〜

情報量が多すぎる。
普通の生活でもネット上でも。

他人が作った影響されやすい空間もたくさんあるし。


情報過多。


東京というのは、
「自分を表現する」ということについて
考えさせられることが多い街だなあと感じます。

人が多いし、どこにどんな人が集まるのか分かりやすいし、
小さなエリアでの境界線が分かりやすい。

たくさん人がいてもくっきり見えるものがあるのが嫌でも分かる。

歌舞伎町という街の中でも清らな場所、
池袋という中でも「禅」を感じる宿、
代官山の中でも世界と繋がるスポット、
秋葉原の一角で数式が踊る空間。


いよいよ五感の世界に突入していく。

そんな気配をハッキリ感じたり。


写真にしても映像にしても
アートにしても空間作りにしても

立体的に作れるかどうか。

3次元じゃなくて
4次元、5次元の世界が当たり前になるって
どういう意味なんだろう??と思っていたのですが・・・・

なんか私が思てたんとちゃうなあーという
清々しい想定外な感じがワクワクします。

思ってたよりもクリエイティブで楽しそう。

わけが分からんなりに、
ピンとくることに点を打っておくことの意味が
やっと少し分かってきました。

繋げる作業も必死。

空間の情報と立体、多面、光と陰の話ばっかりしてた数日。


雑多な中でも、結界の中みたいに静かな場所があったりして
すごい技だなあと感動・・・

「精神と時の部屋」をそのまま持ち歩けるのかどうか、
秒で自分に集中出来る切り替えスイッチを磨きたーい!!



想定外の未来から逆算すること。

「ムーンショット」とかの概念が国家レベルで進んでいる時代というのも
不思議な気がします。


「空間」の視覚次元化が分かりやすいというか、
今まですごくむずかしく考えていたことが感覚的にも捉えやすい。

時代的に昔はこんな話通じなかった気がうるんですけど、
今は当たり前にこういう考え方が広まりつつあることが不思議です。



しかもロジカルでもあって理解がしやすい・・・

なぜ言語化するとカタチになりやすいのか謎だったのですが、

潜在意識という解釈より「情報空間」として解析すると
そういう理論なのね・・・とより書きやすくなりました。



「思考はただ流れていくからキャッチしないと」
というのが「言語化」とか「視覚化」で

・経験をたくさんすること
・拗ねないこと

そしてカタチにすること。

音楽や言葉や写真、
ファッションやイベントや映像などなど

頭の中にあるイメージをいろんな人がいろんな分野で
多面的多角的なアプローチを駆使していて共有しやすくなりました。


見たかったらどこまでも裏側が見れちゃう。

どこまでも追いかけられちゃう。


自分の「好き」や「クリエイティブ」に集中出来るなら
きっと余計な思考に脳を使う暇ないような。


いろんな分野が融合してて楽しそう(うらやまじいいぃぃぃ)

どんどん変わっていくなあ・・・

深く、深く。
4K、5D化している感覚。

普通に音質の問題もあると思う。



Netflixとかはそれに集中している気がします。

Nのマグカップ可愛い・・・

テレビよりずっと面白いのはきっと

「とりあえず思いっきりやってみる」
場所を提供しているということ。


作る側がやりたいことは、

自分の頭の中にある仮想世界をどうにかして
他人とシェアし共感し合いたいということ(たぶん)

実際に使っている途中で
「こりゃ分からんわなあ」って思うことも
たくさんあるのではないかなと思うのですが、

それでも試行錯誤してなんとかしたいと。
そうしてそれが出来た時はきっと楽しいだろうなー

「自分も何かを作り出したい」
「自己表現してみたい」
そう思うのは、そこに触れるからなのだと思う。

「触発」という言葉、良く出来てるな。

結局いくら机上で学ぼうが、
体験談を分かりやすく聞こうが

実際にやってみないと分からない。

でもリアルにシェアされる場面も増えるから
なんとなく分かった気になる部分も増えてくるのだと思います。

その中から、自分も本当にやってみたいなと思うことを選び出すには俯瞰の視点も必要だなと。

他人の情熱や価値観が眩し過ぎて
自分自身の希望の光だと勘違いする瞬間はきっとたくさんあると思う。

「自分軸をしっかりと」といろんな人がいろんな角度から言っているのも
そういう体験をしたからこそなんでしょうね。

こうなるとNetflixったら誰が考えたん??と
横道に逸れていくのですが

いやー開拓するって大変よね

「Netflix」「創業者」と検索したら
いろいろ出てくる時代。


年始にはいろいろあって
生と死に関して考えることも多かったですよね。

私は1月東京行くのもビビってすぐ帰ってきたし、
海外も飛行機怖くなってしばらく考えられなかった。


今はちょっと変わって
生きてるとか死ぬこととか一旦置いといて、
どうでもいいまでは思わないですが。

「このカラダがある間に、どれだけのことが出来るか」
って考えたら怖がってる暇ないなあと思ったり。

時間がなさすぎるなあと優先順位を真剣に考えたり。

そうして選択肢た途中の飛行機で、
もし何かあるならそれも幸せか。

なんて

まあまるっと全部は割り切れないですが、
でも怖がってやらないという時間は勿体なく感じました。

目の前にやる事置いとかないと
ホント暇だからいろいろ考えて浸っちゃう。

でもそのお湯は本当に浸ってたい温泉なのか。
どうせなら九州の秘湯で自然を眺めながら….

なんだよなあ。

地球本来の自然の壮大さも大好きだし

人間の「自然」を追求する人が作り出すものも好き。


こうして見ると中だか外だかわからない不思議!すご!!


このカラダを持ってなお「自然」に生きることの
シンプルなのにむずかしいことに向き合う時間が好き。


その中に混じって小さくても大きくても感じる
「なんか嫌なこと」も考えてみたけど

なんか知らんけど、自分の感覚が不自然に感じるものは嫌みたい。


「自然」が目に見えて動き出す春は
私にとっては日々感動のシーズン。

このはじまる!って感じが大好きだし
夏が終わってしまう…と思う季節は今からもう憂鬱(笑

今年の冬は南国行ってないから冬の体感長かったー

でもやはり四季というものは美しいと思うし、
毎年冬の過ごし方、課題です。

待ち焦がれる春もそれはそれで良いしなあ〜
しっかり春を楽しみたいと思います。

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