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書評:『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド/谷崎由依 訳

地下鉄道(Underground Railroad)は、19世紀アメリカの黒人奴隷たちが、奴隷制が認められていた南部から、奴隷制の廃止されていた北部の州へ、ときにはカナダまで亡命することを手助けした市民組織の呼称。また、その逃走経路。

その「地下鉄道」が本当に地下を走る鉄道だったら……という発想から書き上げられたこの小説は、ピューリッツァー賞、全米図書賞をはじめ、2016年のアメリカの各文学賞を総なめし、NYタイムズ・ベストセラー、Amazon.comが選ぶ2016年のNo.1にも選出され、映像化も決まっている。

小説の中で何度も何度もくり返されるのが「所有」という言葉。主人公の少女・コーラが南部の農園にいた頃、彼女は領主の"所有物"。彼女が自分自身を所有できるのは、唯一の休みである日曜の午後の数時間だけ。農園から脱走して自由黒人になった後、「進歩的」といわれる州に行ってさえ、彼女は書類上でも社会構造上でも合衆国の"所有物"として扱われる。

「自分(の時間=人生)を自分で所有する」……いまアメリカでこの小説が広く共感を呼んでいるのは、本作品が奴隷少女の人生を描きながら、資本主義が猛威をふるう現代に生きる私たちに

あなた自身、自分の人生をどれだけ自分で所有できている?

というメッセージを暗に訴えかけているからだろう。

最後に、大事な問題を。2016年と言えば、全米が注目するスーパーボウルのハーフタイムショーで、ビヨンセが"Black Lives Matter"をテーマにした新曲のパフォーマンスをした年だ(https://www.youtube.com/watch?v=SDPITj1wlkg)。 自警団によって、警官によって、黒人は「黒人」という理由だけで殺されている——これは「学校で習う歴史の話」でなく、21世紀のアメリカで現在進行形の話だ。

コーラは逃亡する中で数々の差別を目の当たりにするが、公園の広場で、白人が顔に炭を塗って黒人に扮して滑稽劇を演じるシーンが出てくる(……と書けば、あの大みそかの番組を思い出すと思う)。その余興に白人の観衆は大爆笑。顔を「黒塗り」した白人が演じるのは滑稽劇だけでなく、逃亡した奴隷が自身の愚かな過ちを悔い許しを乞う(が結局は処刑されてしまう)"道徳"劇でも、その演技で観衆から大喝采を受ける。直後に、観衆も協力して、逃亡奴隷の少女が実際にその場で絞首刑にされる。

映像化でそのシーンはどうなるのか、日本にも入ってくるのだろうか、日本ではどのように受け入れられるのだろうか、非常に注目している。