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書評:『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ/くぼたのぞみ訳

先日、ReDEMOSのイベントで、東京大学社会科学研究所の大沢真理先生が、「家事は女性」というのは〈伝統的〉なものではない。結局、家庭内における力関係(=家庭内の政治)の問題で、賃金格差がなくなれば男女の家事の負担率が近づくというデータも出ている、と言っていた。
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インターネットで〈フェミニスト〉という言葉を目にした時、〈テロリスト〉という言葉を目にした時と同じように読んでいないだろうか。確かに今、「LGBT」のように流行っているわけではないし、その言葉を目にする数少ない機会では、だいたい「フェミ」といったような罵倒語で使われていたり、鬼の形相をした女性の顔のが圧倒的だ。そして、そういうイメージをくり返しくり返し見ているうちに、〈フェミニスト〉という言葉を見ると死ぬ病気にかかり、無意識のうちに防衛本能が働いたのか、インターネットの中で少なくも存在する「フェミニスト」という言葉が全く見えなくなった。

その何ともマヌケな臆病者を笑い飛ばしてくれるのが、この化粧ポーチのような、見た目も最高にかわいい一冊『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』。ナイジェリア出身でアメリカ在住の女性作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェがTEDの会議でおこなったトークが書籍化されたものだ。彼女が書く小説と同様に、言葉は驚くほどシンプルで簡単なのに、心にすっと入り込んできて、つかんで離さないあの不思議な語りを、今回も訳者のくぼたのぞみさんが再現。

女性差別は、目に見えて酷いアフリカだけの話ではなく、目に見えないようにされているだけで、21世紀になっても、世界中で地縛霊のように存在している。ここ日本では、女性差別が、「美徳」「伝統」「マナー」「性質の違い」「役割分担」「個人の努力不足」「そういうもの」といった何だかもっともらしい言葉で言い換えられているだけだ。「最近は男女の力の差が逆転してきた」なんて言って女性への攻撃を正当化しようとしている人もいるが、賃金、管理職、議員の数を見れば、それは個人の主観でしかない事がわかる。望む望まないに関わらず、常に「女性は男性の〈添え物〉」である事を求められてきた。そして、(自分で選んだわけでなく)女に生まれたというだけで、社会システムによって、いまだに生き方が選択できない、あるいはそのハードルが男に比べて圧倒的に高いのだ。これは個人の努力不足うんぬんの話ではなく、社会構造が女性の経済的自立を困難にさせているという話だ。

なんて事を思っていたら、Twitterでこんなツイートがあった。

@TbO80X9XSZJtrBt
“それに最近の就活についてのネット記事なんて「愛され就活生ヘア」「先輩男子もドキッ♡会社訪問のモテファッション」「人事担当者との食事会で『おいしい〜♡』とついうっかりタメ口が出ちゃうと素直な子だなと可愛がられます」とか就活だか婚活だかホステス活だかわからなくなってきてますしね…。”

プライドを持ってやっている人もいるし、ホステスを卑下しているわけではない。が、やはり望む望まないに関わらず、ホステスである事が良しとされる空気、そうでない者は礼儀知らずとされる空気が蔓延しているのはホントうんざり。そして、何もこういった事は女性だけの話でなく、〈らしさ〉や〈役割〉を演じる事を求められているのは「男も」同じ。オヤジに経済力を握られ、オヤジ至上主義の教育を受け続けてきた俺たちは、無意識のうちにオヤジに好かれる選手権に全人生を賭けている。だが、そんなもん優勝して何が楽しい。オヤジに好かれる=戦略的だなんて世の中はゴミ以下だ。

男女差とは別に、階級差の問題で社会構造的に大多数の男性も力を奪われている今だからこそ、男性にとっても、女性と連帯する事が重要になっているのが最新のフェーズ。この本のタイトル通り、男も女もそうでなくても(原題はWE SHOULD ALL BE FEMINISTS)、私たち全員の問題なのだ。そして、重要なのは、良心ではなく知識。「私は絶対に女性を差別をしない」という気持ちがいくらあっても、そもそも何が差別に当たるかを知って理解しなければ差別はなくならないからだ。スウェーデン政府は、16歳の子供たちにこの本を教科書として配ったらしいが、それほど読みやすく内容も優れているという証拠だろうし、実際、あとがきも含めて45分もあれば読めてしまう。まずは、これを読んで、フェミニストとしての一歩を踏み出そう。時おり耳がチクチクと痛くなるかもしれないが、日ごろ女性が受けている痛みに比べれば何でもないだろう。

と、長々と書いたが、結局、次の事が言いたかっただけのかもしれない。アディーチェの語りに触れてほしい。と。これを読んで最高だな、と思ったら、彼女の小説も手にとってみてほしい。『半分のぼった黄色い太陽』や『アメリカーナ』がちょっと長いと思うなら、『アメリカにいる、きみ』や『明日は遠すぎて』という短編集もある。
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最後に、フェミニズムに関して、今年の国際女性デーの日の小島慶子さんのエッセイがとても良かったので一部紹介して終わりにしたい。

“女優、エマ・ワトソンさん。『ヴァニティ・フェア』誌の撮影でセクシーな服を着た彼女を「悪いフェミニスト、偽善者」と批判する声に対して「フェミニズムの本質は、女性に選択肢を与えること」と反論しました 。そう、着たい服を着ればいいのです。「女らしさ」の押し付けに憤る人たちが、女性の権利について勇敢に語る女性に、紋切り型の「フェミニストらしさ」を押し付けてしまうのは、残念な事です。

ところで、男性はどうでしょうか。デパートのメンズ服売り場に行けばわかりますが、彼らは女性よりもはるかに選択肢が少ないですよね。・・・

・・・女性が女の典型を強いられて苦しむことがあるように、男性も男であれと言われて、息苦しい思いをしています。最近は、日本でも「男性学」が脚光を浴び始めて喜ばしい限りですが、男性に「男らしさ」を押し付ける社会である限り、女性にはその対称である「女らしさ」が課されることを忘れてはなりません。私たちは、「らしさ」に苦しむ仲間なのです。

女性は、男性は経済的にも社会的にも強者なのだから「年収600万未満の男はお断り」とか「おやじハゲ、臭い、邪魔」とか「もっと稼げ」とか「定年後は粗大ゴミ」とか言っても構わないと考えてこなかったでしょうか。それが結局、自分たち女性を生きづらくしているのかもしれません。追い詰められた人が最も手軽に強者になる方法は、自分よりも弱い人を支配し、自由を奪うことだからです。

・・・そんな世の中でハッピーなのは、滅私奉公のオトコ社会で特権を手にした、ごく一部の人だけではないでしょうか(注・それはなにも男性とは限りません)。

いまや、女VS.男の対立ではないのです。従来の「あるべき男女モデル」を好都合だと思っている人と、押し付けられて疲弊している人との理不尽な関係が、職場や家庭のいろいろな場面で軋みを生んでいます。

女性が働きやすく、生きやすい世の中とは、性別に関係なく、誰もが人間らしく生きられる世の中であり、働きながら人生を楽しむとか、働きながら家族と生きるという当たり前のことが可能な世の中です。家庭内ではつい「男は仕事ばかり!」「俺だって早く帰りたいけど無理なんだよ!」と責め合ってしまいがちな男女ですが、「なんでこんなにしんどいのか?」と一緒になって考えてみると、それは目の前の配偶者のせいではなく、今の働き方の仕組みとか、これまで常識とされてきた男女の役割に問題があるとわかります。

・・・・電通総研の調査に表れているように、働いている、もしくは再び働きたいと思っている女性の全員が管理職になりたいわけではないし(私も会社員だった頃、管理職になることには全く興味がありませんでした)、大半の女性は輝く女性のロールモデルなんかいらないと思っています。「あの人みたいになりたい」ではなく「いまの私のまま、働きやすく生きやすい社会にしてくれよ」が本音なのです。バリバリ働いて役職を目指す人がいる一方で、ゆるく働くぐらいがちょうどいいという人がいるのも当然でしょう。

同じように考えている男性も、きっとたくさんいると思います。・・・声無き多数派である不自由な男たち彼らが声をあげれば、多様な生き方が可能な世の中を望む当事者の数が、劇的に増えるのですから。私たちは、非人間的な働き方やジェンダーの押し付けに対して、一緒にNO!と言えるのです。”