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狂ッテイル とはこういうことさ ――書評:『愛書狂』G.フローベルほか/生田耕作 編訳

レコードバカ一代という、音楽評論家の湯浅学がひたすらアナログレコードへの狂愛を淡々と語り続ける座談会を、学生時代に見に行った事がある。レコードを聴くにはまず スピーカー と アンプ と ケーブル と 針 と プレーヤー が必要で、「100万円あればとりあえずまともなものを揃えられる」なんて言葉を耳にした事もあり、とにかく一つ一つにお金をかければかけるほど良い音で聴けるというのがレコード愛好者の通念である。しかし、一揃い用意したらいいというわけではなく、針ひとつとっても、ジャズにはこの針がいいとか、ロックにはこの針だとか、音楽との相性というものがあり、針だと思ってバカにする事なかれ一つ数万円はし、中には10万円を超えるものもある。これらの事をスピーカー、アンプ、ケーブルで……とひとつひとつクリアしていかなければならないのだが、さらにモノ盤用のスピーカーだとか、SP盤=蓄音機の沼へとずぶずぶ入り込んでいく人もいる。ちなみに湯浅氏は、スピーカーだけで洗濯機くらいの大きさのものを家に4つ所持している。

とにかくオーディオセットが揃ったところで、湯浅氏の座談会に戻ろう。中古レコード屋あるあるだが、大きいチェーン店から小さな個人経営店まで、この世に存在する全ての店で必ず置いてあるのがザ・ビートルズのレコードだ。値段は、叩き売りの段ボールに放り込まれている100円の盤から、表彰状のように壁にかけられている1枚数万円の盤まで様々で、盤質/ジャケットの状態/プレスされた国/プレスした会社/プレスされた年……などで決まる。収録曲が全く同じでも、これは盤にキズがあるだとか、ノイズが入ってるだとか、発売当初のオリジナル盤だから希少価値があるだとか、ジャケットが違うだとか、限定のカラー盤だとか、180g重量盤だとか、そういった具合だ。

▼ビートルズともなると、初めてオリジナル盤がプレスされた1960年代から現在もなお、全世界の工場で、何千回何万回と再プレスされている。最近テレビで「週刊ザ・ビートルズLPコレクション、創刊号は~」というCMを見た人もいると思うが、近年のレコードブームに乗じて、デアゴスティーニまでここに参入してきている。それこそ1stアルバムのプレスされた枚数だけで、地球の総人口を超えていそうなものだが、当然、同じビートルズの1stアルバムでも、どの国で/どの会社で/どこの工場で/何年の/いつの時期にプレスされたかで音が違うのである。

▼湯浅氏は、どのレコード屋に行っても必ずビートルズの盤を手に取り、国・レコード会社・年代…と調べていき、持っていないものがあれば購入する。「プレスされた工場なんて、どうやって調べるんだ」と思うかもしれないが、シリアルナンバーを見たら分かるという。さらに、近いシリアルナンバーでもプレスされた時期が違うものがあり、やはりそれも音が違っているという事に気付いてからは、レコードを手に取ってみた感じで、「ん?これは持っていないかも」と思ったら購入することにしていると氏は語る。そんなこんなで氏の家には、例えば『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』だけで100枚以上ある。また、何とビートルズのモノ盤(『プリーズ・プリーズ・ミー』ブラジル盤)が存在!!していて、氏はそれも所有しているのだ。

▼と、レコードに取り憑かれた湯浅氏の話を紹介したが、彼の場合は集めたレコードを「聴く」という本来の目的で使用している。確かに同じレコードを何枚も買っているが、これもまたあくまで音の差異を楽しむためであり、「聴く」というレコード本来の目的での使用だ。ところが、この本に出てくる愛書狂=ビブリオマニアたちはどうだろうか。彼らは、古本屋で見つけた宝をモロッコ皮に包んで製本したり、今はないゴシック体の印字にうっとりしたり、出版の時にこれを手にしていたであろう著者を妄想しその息吹を感じる。稀覯本を蒐集する彼らにとって大切なのは、本の内容や文学的価値ではなく、装丁や印字の美しさ、保存状態や稀少性といった、副次的な要素である。このような「蒐集」や「愛玩」の側面は、レコードにも確かに存在するが、とにかくビブリオマニアにとっては、本は読むものではなく、「愛でる」ものなのだ。やや大きめサイズの切手蒐集家と言えば、イメージしやすいだろうか。実際、裁断前のページとページがくっついたままで読めないものを敢えて蒐集したり、ほとんど文盲のビブリオマニアの男もいる。来る日も来る日も彼らは古本屋に目を凝らし、競売で稀覯本を逃しては地団駄を踏み、著名な蒐集家が亡くなれば心の底から喜んだ。

そういった時に死にも至る病にかかった男たちの悲喜こもごもが凝縮された濃ゆい一冊が『愛書狂』であり、その病態が詳細に記されてはいるが、やはり治療法は一切記載されていない。

一冊の本に熱を上げる彼らの姿は、まるで人生でたった一度訪れる運命の恋をしているようにも見えるが、しかし両者の間には決定的な違いがあって、恋の病は治るが、「愛書狂」という病は死ぬまで治らないのだ。