20191123_コウイカの解剖

ビニールを敷いたテーブルにべったりと横たわったコウイカは、私が今まで見たどのコウイカよりも大きかった。
1キロ…いや2キロ近くあるかもしれない立派な身体。内臓も大きいに違いない。まだ死んで1日と少し、鮮度も良い。

これはぜひ解剖したい。私がこの手で。

しかしこれはイカパーティーのイベントの一つである。こんなに素晴らしい役に、主催者側である私がしゃしゃり出るわけにはいかない。「どなたか解剖したい方はいませんか」。全く心がこもっていない私の呼びかけに応じる人は残念ながら、いや、幸いにも誰もいなかった。仕方なく、あくまで仕方なくその役をやるのだという顔をして「では、私が」と包丁を手に取る。

これからこのイカに刃を入れる、それをするのは他の誰でもない私だという事実に、身体中の血が沸くようだった。気持ちがあまりに高まりすぎて、外側の観察もろくにしないうちに気づけば腹側から包丁を入れていた。

あらかじめ刃を研いでおいてくれたというだけあって、すうーっと身を割いていく感覚が心地よい。墨まみれの皮の中から汚れのない雪面のような断面が表れるのを見ると、日頃のストレスが融けてなくなるようである。

それにしても身が厚い。キロ超えのアオリイカを捌いたことがあるが、それを上回る厚さだ。頼もしい外套膜を左右にぐっと開くと、ぬらぬらと濡れた内臓たちがあらわになった。

一層濃くなる墨の生臭さに目眩がする。なんと、赤子の拳ほどもある大きな墨袋が他の内臓を覆うように鎮座していた。これを私が取り出すのか。そう思った瞬間、腹の底が熱くなるような、内臓が打ち震えるような興奮が湧き上がった。

周りを覆う薄皮に包丁を入れながら、慎重に切り離していく。刃先を伝う緊張に更に高揚する。そうしてたっぷりと墨を湛えた墨袋を完璧に取り出した喜びと言ったら。墨袋に頬擦りして、全身に墨を塗りたくりたい衝動にかられる。たぷたぷと頼りなく、手の平で転がすとまるで懐いているかのように吸い付く触り心地。今日の記念品として持ち帰るならこの墨袋だろう。

ゆっくり楽しみたいところだが、今日は観客がいるのだ。先を急ぐ。墨で汚れてしまった櫛状のエラを撫ぜてたどると、根元にエラ心臓がある。更にその先をたどると交差点みたいな形の本当の心臓がみつかった。スルメイカの心臓なんかは小さくて頼りないものだが、こいつは流石にしっかりしている。
エラを通る1番太い血管を確認すると、血液はすっかり酸素を手放して透明になっていた。先刻、加藤先生が「イカの血って新鮮だと本当に真っ青なのよ!薄い青?いやいや、もっと鮮やかな青。ほら、そこの絵みたいな」とおっしゃっていたのを思い出す。薄い青しかみたことがない私は強烈に嫉妬した。嫉妬のあまり先生が指した絵を振り返ってみることが出来なかったほどである。
いつか必ず自分の目で、その青を見てやる。シメずに生かしながら解剖してみよう。墨を吐かないように墨袋の根本をクリップで止めるのはどうか。青い血が流れ込む3つの心臓の拍動を見る日を思うと、ぞわぞわとしたものが全身を駆け巡ってもう堪らない。

左右のエラとエラ心臓と、真ん中の心臓をひと繋がりに取り出すと、神にでもなったような気分だ。このままエラ同士を結んでネックレスを作れたらいいのに。エラが付け襟みたいで素敵だし、素肌の上でピクピクと動く心臓がさぞ可愛らしかろう。

循環器系が取り除かれて見た目がすっきりしてきた。左側に目立つのは白い生殖器。ちゅるんと丸くて白玉みたいな精巣と、カタツムリのように渦を巻いた貯精嚢から陰茎がのびている。精莢が10本ほどこぼれ出た。成熟した雄だ。
細長い精莢をつつくと、にゅるるんと中から寄生虫のような精子が出てくる。クセになる面白さだが、今日はそんなに構っていられない。

次は私の特に好きなパート、U字型の消化器を繋げたままで取り出す作業だ。薄皮に覆われた肝臓の上に張り付いているか細い直腸を、千切れないようそっと取り外し、もやもやした腎脾臓を通り抜け、ふっくらした盲嚢へ。盲嚢からすぐ隣の胃はあまり内容物がなかった。イカはなんでも細かくすり潰してしまい消化が早いので、胃の中身がよく分からないのが欠点だ。丸呑み系の生き物だったら、内容物を仕分けながら酒が飲めるのにな。

胃で折り返した消化器の旅は食道へ続くが、食道は肝臓の下に埋まっている。先に肝臓だ。周りを覆っている白い皮を神経質に剥がすと、壊れやすいトロトロぷるりとした肝臓がでてきた。これに舌を這わせる想像でうっとりする。きっと絹のように滑らかな舌触りに違いない。
スルメイカなんかだと肝臓の表面から食道を剥がすだけなのだが、どうもこのイカは食道が肝臓にめり込んでいるようだ。肝臓を壊さないようにそうっと手で掬う。消化管と肝臓を分離できないのは悲しいが、そういう細かな構造の違いをこの身で体感できるのは痺れるような悦びだ。

この先は頭軟骨の中。脳味噌のまんなかを食道が通っているというのが最高にクレイジーじゃないか。誰が考えたんだこの構造。そそる。ごりごりという軟骨を切る感触が腕に響いて胸を震わす。
ちょうど真ん中あたりまで頭を開くと、脳の隙間に食道が通っているのが見える。そのまま腕の方へ辿ると丸々ぎっちりとした筋肉質な口球へ。
まん丸でムチムチしていて鋭いカラストンビがついている。中にはおろし金のような歯舌。この口で肉を啄まれ、歯舌でザリザリとすり下ろされたい。
これでようやく消化器をまるごと手に入れた。口から食道、胃に盲嚢、そして直腸。食べ物が通る道をひとつづきで取り出せて、深い満足感に満たされた。

空っぽの胴の中、あとは甲しか残されていない。一息ついたところで、交代の合図が出た。研究者の方が頭の部分の解剖をしてくださるという。自分の手を離れたら急に興味を失ってしまって、あとはただぼうっと、脳が露出し甲を取り出されるイカの様子を見ていた。

ホテルへ戻って、またこの解剖を思い出すにつれ興奮がこの身に蘇ってきた。普段スルメイカを解剖するときも喜びを感じてはいるが、今回のコウイカは格別だった。ずっしりした重み、臓器の手触り、膜を割く感触、香り、すべてを何度も脳内で反芻する。交接腕を確認しなかったことに悔しさが残るが、概ね満足である。
これからもこの解剖を思い返しては、幾度となく悦に入るだろう。

私はイカが好きだとずっと思ってきたが、イカを解剖するのが好きなだけかもしれない。生きたイカと私に解剖されているイカ、どちらがより興奮するかといったら明らかに後者である。
可能なら生きながら解剖するというのが一番の望みだ。

それならば釣ったその場で解剖すればいい。なぜ今まで思いつかなかったのか!揺れる船の上では細かい手捌きができないから、陸からの釣りだろう。
陸から大きめのアオリイカなりコウイカなりを釣ってその場で解剖するというのが、当面の私の目標となった。

この趣味を生かして、いずれイカの解剖会も開こう。ひとりで解剖するのもいいが、今回のように人に見られながら解剖するとより楽しめる。

いろんな収穫があった鹿児島の夜だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?