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横浜の風に吹かれて④

 高校での3年間は、今振り返っても、非常に密度の濃い、さまざまな経験をつんだ3年間だった。これほど自由に過ごした3年間はない。この3年間があったから、その後の人生を曲がりなりにも、大きく道を外れることなく過ごせたと思う。周囲の大人たちには、今思えば、ずいぶん心配をかけたものだと思うが、当時はそんなことは全く知らなった。何年もたってから、母が、「あの頃は、ご近所みんな、下のお子さん、大丈夫?」って心配してたんだよ、と教えてくれた。
 
 怒涛の3年間が始まった。
 高校一年の春。少しだけ自分たちの世界がひろがった。一緒に集う仲間の住む家も少し広い範囲になり、遊びに来た友人に、帰るのも大変だし泊って行けよといって、朝まで麻雀なんて日が続いた。朝まで遊ぶ程度の仲間はすぐに集まった。
 
 高校に入学してまだ2カ月、初めての文化祭の夜、特に決めたわけでもなかったが、人が人を呼び、いつの間にか40人くらいが集まった。さいわい大きな家で、40人くらいが集まることは可能だった。大人への階段を前にして、背伸びしたい年頃だった。無理して大人の世界を味わいたいと思っているものが集った。初めて口にする琥珀色の飲みもの。どんなペースで飲んだらいいのか、飲んだらどうなるのか、知らないものがほとんどだった。白い煙を漂わせながら、妙に慣れた手つきで麻雀をするもの、便器を抱えて吐いているものなどがいた。何を話したか、もう詳しくは覚えていないが、これからの日本はどうあるべきか、といったような、ひどくまじめな話をしていたような記憶がある。
 
 私は結局一睡もしないままその夜を過ごした。途中で帰ったもの、親御さんに懇願して今日だけはといって泊っていったものなどがいた。朝、寝ている友人をたたき起し、吐いているものの介抱をし、学校に行く支度を整えた。
 「今日は休んでも大丈夫だよ。日曜日だし、文化祭だし。」
という友人に、
 「どんなに遊んでも翌日はなんてことない顔して、いつもどおりに行かないと。そうじゃなきゃ、二度とこの家には来られないぞ。」
といって、尻をたたいた。
 
 母がどう思っていたかはわからない。すべてかどうかはわからないが、許容してくれていた。何年もの後、「あの頃はなんだか怖くてね。」と、言っていたらしい。この家に集ってくる子供たちに、母は、とても寛容だった。自然と、人が集う家になった。
 
 文化祭が終わった翌週、担任教師に職員室に呼ばれた。
 「お前の生活態度に関して、地域の方から注意を頂いた。思い当たることを言ってみろ。」
 あの夜のことに違いない。具体的な事実が伝わっているかどうか、かけだった。
 「全く、何の事かわかりません。」
 しらを切りとおした。
 担任は、母の小中学校の同級生だった。きっとやりにくかったとは思う。この後も、母は何度か学校に呼び出され、先生から私の態度についてお叱りを受けたようだが、私には一度も知らせることはなかった。許容していたのか、諦めていたのかはわからない。
 
 このころの私は、禁止されていたパーマをかけ、ほんの1~2年の後には流行しなくなった、膝くらいまである長ランに幅広のズボンをはいていた。長ランの裏地はゴールドで、ここにいつもコロンをふりかけて着ていた。まだ一年生である。当然と言えば当然の結果だが、次にやってくるのは上級生だった。進学校とは言うものの、それなりの上下関係があった。

いつも通りの教室の昼休み。一年上の先輩たちは二人でやってきた。
 「ちょっと来い。」
 なにか怒っているような?
 とにかくついて行ってみると、連れて行かれるのは、誰もいない野球部の部室だった。
 「お前、偉そうで気にいらねえんだよ。」、と。なぜかバットをもって凄味をきかせていた、、、つもりだったようである。
 ”偉そうだからって呼び出すほうはもっと偉そうだよ”、と思ったが、そんなことは言わない。
 「はい、申し訳ありませんでした。気をつけます。」
 これで満足するらしい。この二人、今でも名前も顔も覚えているが、とにかく私のことが気に入らなかったらしい。こちらは何の感情もなかったが、あんまりうるさいので、どうにかしなければいけなかった。
 2年上の先輩たちは、なぜかとてもかわいがってくれたが、一年上はだめだった。下級生ができて勘違いしていたのだと思う。
 

 当時私は剣道部だった。小学校から剣道をやっていて、中学時代中断していた。高校に入って、段位をとるために再開していた。放課後はいつも部室だった。部室で未成年には許されないことをする輩がいたが、私はしなかった。学校を一歩出れば自由にしていたが、わざわざ学校でルールを犯すのは違う気がしていた。

 部室では、あの二人の先輩をどうするかをいつも考えていた。たぶんほかにも私のことを、快く思っていない先輩はたくさんいたはずだった。なので、一年上の上級生には相談できなかった。ただ、剣道部の先輩方はなぜかとてもかわいがってくれて、よく一緒に遊んでもらった。遊ぶといっても、いつも麻雀ではあったが、、、。

 二人の先輩は、何度も呼び出しては説教じみたことを言うので、ほとほといやになっていた。「どうして、お前らに説教されなきゃなんねえんだ」ってのが、正直なところだった。
 そもそも、人の説教をする前に自分の髪形や制服を見てみろよ、と思っていた。自分より長い制服を着ているのが気にいらないのなら、もっと長いのを着ればいい。二人で呼び出して、誰もいない部室で、バットを持って脅しをかける。でも殴る勇気はない。なんて奴らだと思ったが、おお事にしないで解決しなければならなかった。
 私は、少しずるい手を使った。
 せまい田舎町である。進学校の悪なんて、たかがしれている。中学校時代から付き合いのある他校に進学した先輩たち。商業高校や農業高校である。え?っと思うような髪型と制服で街を闊歩していた。どういうわけか、とてもかわいがってくれていた。あの家に集まることもあった。そのうちの一人に電話した。
 「ちょっとうるさいのがいるんだけど、なんとかならないかなぁ。」
 「おっ、わかった。どうしとく?」
 どういう風にも解釈できる、恐ろしい会話である。
 「いや、とにかく、ほっといてくれるようにしてくれれば、それでいいよ。」
 「わかった。まかせろ。」

 翌日から、あの二人の先輩は、笑顔で会釈をするようになった。だったら、最初から何もしなければいいのに。あまりスカッとするやり方ではなかったが、どうにかまた、平穏な日々が戻ってきた。クラスの仲間がどう見ていたかわからなかったが、いつもと変わらぬ付き合いが続いた。

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