謝りたいことたち①

今も 時々思い出すシーン。

美しい色の ブロッコリー🥦

親戚から送られて来た採りたて野菜の中に入っていた鮮やかな緑色のブロッコリー🥦

茎の薄いグリーンや 花の周辺のグリーンのグラデーションに、父は、『きれいなぁ』
と、関西弁のイントネーションで 静かにささやき、
『これ、あとで描きたいから 置いといてね。』
と言っていた。

父の机の上はいつも いつでも すぐに絵が描けるようになっていて、
そして いつも 気が向くと 描いていた。

きっと小さい頃から、ずっとそうやって生きてきたんだろうな。

戦争中、疎開していた小豆島で、キレイな魚を獲ったり釣りをしたり🎣

若い貧しい最中も、4コマ漫画を描いていた時も、悲しい時や 寂しい時や、
楽しい時や 嬉しい時に 
常に持ち歩いているスケッチブックに
思いを絵や詩に 託す。。。

そんな風にしていたのかな。
とか 幼少期、2歳で父を亡くし、
子ども時代、母が再婚した時も、
自分だけ、母の婚家の苗字にならず、
いろいろな思いをグッと堪えて、
小さな胸を痛めていたのではないか。。。

父の 生きて来た中での 小さな思いのひとつひとつに 初めて ちゃんと光を当てようという気持ちになっています。

あの時のブロッコリー、
父が 描きたいと言っていたのに、
おいといてね、って言ってたのに、
なんと 私は、すっかりそのことを忘れて、
うっかり 茹でてしまって、

茹でてしまったあとに 父に謝って、
『あっ、うっかり茹でちゃった!』と笑って言ってしまい、
父も 別に 怒ることもしなかったけど、

今も、時々 思い出すシーン。

あの時、パパ、茹でちゃってごめんなさい🙇‍♀️

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