星になれたら

 宇宙は広くて、形がありません。それなのに、マジョリティは世界を無理やり立方体として認識しているようなものです。潔癖で几帳面で神経質な人たちがやっていることなのでしょうか。自らが形作った社会の範囲外にあるものはブラックアウトして彼らには見えません。私たちが宇宙の外に何があるのかを知らないのと同じです。一般的価値観の是とするもの、非とするもの。その是非の判断基準もまた一般的価値観によって体系化され、そのことを信じて疑わない人たちによって運用されています。でも、宇宙の果てから見れば誤認であるかもしれないその価値観を、誤認であるかもしれないと考える想像力も懐疑心もこの社会には形成されていないのです。

 何にでも名前を付けないと気が済まないこの社会で、名前の付いていないものに社会的価値は与えられません。この世の中のほとんどのものに名前を付けてしまったつもりでいて、名前のないものに無関心を貫き、正義のような顔をして説教を垂れる人にあと何回傷つけられればいいのでしょうか。私たちはあと何回傷ついて、生きていかなければならないのでしょうか。周りの友達が好きなジャニーズやら韓流アイドルやらの話で盛り上がっている中、動物の画集や動画を見漁っていた小学生の私に、多様性を謳う令和の社会はどんな手を差し伸べ、何と名前を付けてくれるのでしょうか。ジェンダー理解を推進すると声高に叫んだ法案のどこを探しても、探していたものは見つかりませんでした。

 生きづらい、生きづらい、生きづらい。そう思いながらずっとずっと、生きてきました。はやく誰か私に名前を付けて、一括りに束ねてほしいと何度も思いました。LGBTという言葉が普及してからは、お前は何という種族に属するのかと周りの大人はしきりに尋ねてきました。セーラー服が嫌だと言えば、学ランを持ってくる大人と向き合うことが、社会と向き合うことが、自分と向き合うことが、自分という存在を全て否定するようで苦しかった。立方体の社会のどこを探しても、自分の居場所は見つかりませんでした。

 マイノリティが唯一自由に息をできていたネットの世界ですら、今は立方体の中です。マイノリティの住処だったネットは一般化され、誰もが土足で踏み込む生き地獄みたいです。多様性を謳う正義感の強い人間に、求めてもいないのに勝手に名前を付けられて勝手に肯定されて、あなたはあなたらしくいていいのよ、みたいな耳触りがいいだけで中身なんて何もない言葉をかけられて、彼らの妄想する理想の世界観に付き合わされるようになりました。私たちは、あなたたちの立方体の中に取り込んでほしいとは思っていません。ただ、その外にある広い宇宙で、それぞれの銀河系の中で、ひとつの星でありたいと願うだけです。立方体を抜け出して、宇宙で星になると決めた人たちを、頼んでもいないのに立方体の中の倫理に照らし合わせて否定し、ひとつの星の輝きを消してしまった社会を、どうしても憎んでしまいます。

 願わくば、いつか、立方体が破壊されて、囚われていたたくさんの星たちが宇宙に広がって、誰よりも美しく、綺麗に輝いていく未来が訪れますように。

 先に星になってしまった人たちと、そこでまた、巡り会えますように。

R.I.P. ryuchell.

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