23才の夏休み

 ロックバンド神聖かまってちゃんの曲に「23才の夏休み」という曲がある。

 16才のときに聴いていたときは、まだ遠い夏休みに思いを馳せていた。現実味もない、遠い話だったはずが気付けばいつの間にか、この手の中にあった。

 泣きながら学校を辞めたい、死にたいと恩師に訴えかけてしまった日に、恩師は言った。

「30才だ、30才までに何かひとつ、これだと言えるものを作りなさい」

 あれから7年経った。30才まであと7年。ちょうど折り返し地点にきてしまった。

 この7年で、高校を辞めた。鬱病を治した。パニック障害を乗り越えた。大学に入学して、卒業した。就職をした。たった7年の間に起きた出来事だとあまり思えないし、実感もない。自分の人生だけど、振り返ってみたら全く知らない他人の人生みたいに思える。

 浮いたり沈んだり、いつもジェットコースターみたいな人生。それでも、いいことだけ信じて、愛された記憶だけ抱えて、生きててよかったって思える瞬間をかき集めて、なんとか生きていたいと思う。

 集団行動は苦手なままで、組織に属することに到底向いているとは思えない。他人と違う自分を、社会に溶け残らないようにツギハギした自分をうまく愛せない日もある。飲み会の上手い断り文句だってまだ全然分からない。

 大学時代、運命とも思える出会いがあった。とある授業に感化されて思わず吐き出した自分の言葉にたくさんの大人が共感を寄せてくださり、ネットニュースという形で世に出してくれた。どうかこれからも筆を置かないでほしいと、身に余る言葉も頂いた。自分の中にある、忘れられない言葉たちの1ページに、その言葉を大切にそっとしまった。

 言葉は、呪いだと言う人がいる。
 私は、いくらでも呪ってくれと思う。

 弱い私にとっては到底、素面では生きられない世界。呪われてでもないと生き抜けない。自分を呪う言葉たちを私は一生をかけて愛し抜くだろう。私を生かす、言葉たちを。

 30歳までに作り上げたいものが何かはまだ分からない。ただ、魂の解放をしたい。自分の心に渦巻いている感情や思いを言葉にする。あるいは、人に思いを伝える。それが20代にやるべきことなのではないかと漠然と思っている。

 世界平和を願うような大それたことではない、自分が生きていくだけで精一杯で等身大以上のものは作れない。それでも、自分にとっての魂の解放が、誰かにとっての光であれば、きっと人生においてそれ以上のことはないと思う。自分だってずっと誰かの魂の解放に立ち合い、救われてきた。

僕は今年で23才
少し顔がやつれてる
夏が来たなんて言っても
どこにもいかない
予定がないからね、ないからね

ギアをあげて
今も過ごしています
ひどすぎる夏休み
走り出す

23才の夏休み/神聖かまってちゃん

 

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