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思ったことをつらつらと…

まずは大前提として言います。
私が、関わりたくない人間と言うのは「双方」にいます。それはこの際はっきり言います。ようするに対立構図を助長し、互いに、相手を批判するソースを探して回っているような下衆な連中です。そういった連中のために書いた文章ではありません

さて、吐き出さないとメンタル逝ってしまうので、これが最後です。

先日、私自身が曖昧なことばで、かつ強く「あっち側」に本音を言ってしまったのは反省すべきところであり私の落ち度でしょう。
そこに関しては責められるべきでしょう。

ですがね…他人にレッテル張ったり、「冷笑クズ」とか「中立気取りの厨二病」とか、それはまぁ…結構酷いこと言われてりしまして、こういう批判の枠を超えてることを言う人たちに、(大義があったとしても)共感しろというのは無理な話です。とどのつまり、不安を煽り他人を攻撃し引用で噛みつきまくることを選んだ人々とそれを扇動し支持される人々にはやはり共感できません(私が先日言いたかったのはそこです)。

手描きで描いた私の絵をAI使って人を騙してる詐欺師!など吹聴して転載して回る人間も現れ、もう手に負えない。批判はともかく「汚い言葉」や悪意を無責任に投げつけられたのは随分と久々です。人生経験の浅い若気の至りなら多少は仕方がないとは思いましたが…(そうではないところが闇が深い)。情報開示も考えると頭に浮かんだのは初めてです。

事態を、静観してるからといって、現状の問題を知らないわけではないし、最新の情報も追いかけてます。無視してるわけではないです。ただ、白熱している方々にはそれがわからないらしい。声を上げなきゃ何もしていないのも同然というのである。私が何に共感し、何に共感できないのかも判断ができないらしい。とどのつまりエコチェンバー化した人々に言葉は通じないのです。

一歩引いた目線すらも批判の対象にするのだから、関わりたくない人間はSNSを離れ、何も言わなくなるもはうなずけます。同業者が口汚くなりすっかり豹変したことを嘆く声も伝わりません。伝えたら何をされるか分かったものじゃないからです。言及しなくなった人間はSNSのTLには現れない。だから意見が2極化するのです。

大義のためなら一線超えることも許容される、という認識がまかり通るこの状況をおかしいことだとは微塵も思っていないのはどうなんだ?という点を今一度考えてほしい。それを改めて実感したのでした。


そもそもとして、私は生成AIには懐疑的ですし、時には批判的です。しかし技術的な分野や興味深さ、その進歩やジャンルとしての成長には関心があります。だから、実際どれ程のものかと触ることはあります。何も知らずに批判するのは愚行だからです。

しかしながら、悪意をぶつけられて酷い目にあっている人々も私は知っています。人の浅はかな承認欲求と悪意に「手ごろな武器」を与えてしまったのは最大の罪と私は考えています。人々が長年積み上げたものを一瞬で食いつぶしていく様は当然反感を買うでしょうし、pixivに毎日のように連投される、人間が制御できない量のAIアートにため息をつきながら、やはり、この状況にはブレーキをかけるべきだ、と諸問題に関するパブリックコメントには意見書を提出するなどしています。(※一人のアカウントが1年で1500枚近いAI絵を投稿してる様を見たときには、いやな汗が流れたモノです。さらに、あの手の絵柄が食傷気味され、あわよくば目の敵にされるようになったのは実に罪深い。)

だが、私が何をしどういう思想を持っているかなんて、白熱した人らにはどうでもいいんです。

「俺たちは批判された。許さない。こいつは敵だ。」

ただそれだけでストローマン論法を展開し発狂し学級会を開き盛り上がっているのですから。考えや意見が違う人間に対し日ごろから皮肉たっぷりの言葉を放ちながら、いざ自分たちがそれを言われるのは我慢ならないらしい。そして彼らは成し遂げたわけです。不穏分子と決めつけられた一人の平凡な絵描きを、言葉の暴力と恐怖を用いて黙らせ、「敵」の排除に成功したわけです。

藁人形論法とは、議論をする中で相手の主張を歪めて引用し、本来の趣旨とは異なる主張に捻じ曲げて反論する論法のこと。ストローマン、かかし論法とも言われています。例えば、「子供を道路で遊ばせるのは危険だからやめた方が良い」という主張に対し、「子供を家に閉じ込めておけだなんて、ひどい意見だ」と反論するイメージです。拡大解釈して相手の主張を否定したり、会話の流れを無視して一部の意見だけを切り取って攻撃したりする話し方を指します。

https://claimnavi.com/column/3312/

最後に…

私は蚊帳の外でいたいし、それを自ら選んだ人間です。お前ってそういう奴なんだ!と後ろ指さすのは構いません。縁を切ってくれても構いません
(であるなら何も言わなきゃ良かったのに…というお叱りはごもっともです!)

昨今の言葉でいうなら穏便を強要する「ソフト老害化」って奴なのでしょう。その筋でいうなら、彼らの苛立ちも多少はわかります。確かに私は以前より老けまして、最近覇気もなくなりました。

こういった文章は書くべきではないでしょうが、そのまま何も言わずに黙ることを選ぶのでは、ひとり絵描きの考えが封殺されることになるので、あえてここに記します。ただ、もう、以後は一切、例の問題や話題には言及しません。あーすっきりした(;´∀`)


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