当たり前
「当たり前」というものは定義がとても難しいと私は感じております。
人によってそのことが定義する具体的なものに差異が生まれ、また、その当たり前を行うことが困難な人々も世の中には存在します。
みなさんが当たり前に行えて当然と思えるものは何でしょうか。
今、思いついた人はなぜそれは当たり前に行えなければならないのか。
今、思いつかなかった人はこの記事を見ながら考えて見てください。
こんにちは。セントリベル運営のみっふぃーです。
今年から大学に入学した私ですが、大学ではいかに当たり前のことが出来るかが求められていることに気が付きましたので、ここに残していきます。
では、初めに説いた問題の答えは決まりましたか。
「わからない」も一つの答えなので、今は無理に考えなくていいですよ。
この質問に対して一番多い回答は「挨拶」であると予想します。
私の大学ではほとんどの講義で高校まで行っていた挨拶がなくなります。唐突に講義が始まり、また唐突に終わります。
しかし、そんな中で一つだけ毎回必ず挨拶を行う講義があります。教職の講義です。
その講義の先生が常におっしゃっているのが、「当たり前を怠るな」です。
たとえば、ノートです。大学生といえば、パソコンで講義メモを取ると思いますが、この講義ではパソコンは持ち込み禁止。先生や生徒の意見に「傾聴」し、ノートにメモを取ります。
私はこの講義を受けているとき、高校生に戻った気分でした。というか、傾聴しノートをとること、挨拶をすることは小学生から常々徹底されてきたものです。
小学生からずっと行ってきたものを未だに大学で求められているということは、それはとても大事なことだということです。
人を指導する教師という職に就くためには、人として当たり前のことが当たり前にできないといけません。
大人になるにつれて私たちは挨拶をしなくなります。小学生の頃は校門の前で大きな声で挨拶をしていた子も高校生になると挨拶をしなくなるというのはよくあることです。
みなさんがどのくらいの年齢なのか私にはわかりませんが、挨拶は誰にでもできることです。年齢は関係ありません。
当たり前というのは誰にでもできる事を指しているのではないでしょうか。
今一度自分の行動を振り返ってみてはいかがでしょう。