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鳥居元忠の「首塚」

11月5日(日)に放送されたNHK大河ドラマ『どうする家康』では、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の前哨戦となる伏見城の攻防戦が描かれました。徳川方の城将として戦死した鳥居元忠の首級は、大坂城外の京橋口に晒された後、元忠と親しかった商人の手に引き取られ、「百万遍」の名で知られる京都・知恩寺の墓地に埋葬されたと伝えられています。伝承の詳しい内容は、拙著『日本の戦死塚-増補版 首塚・胴塚・千人塚』(KADOKAWA)の第六章「「関ヶ原の戦い」の敗者たち」に、「鳥居元忠の首塚」という一項(178-180頁)を設けて紹介しています。

鳥居元忠の「首塚」。寺院内墓地の一画でありながら、名字の由来となった鳥居の石柱が目を引く(京都市左京区田中門前町)

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