外に出たことない男。
物語はある男が扉を見つめるところから始まる。その男はなんと23年間”外に出た事がない”のだ。だが、特に社会の情報から切り離されている訳ではない。
近年は情報が蔓延しており、外を知らなくても嫌でも情報が入ってくる。男はそんな状況に嫌気がさして、何でもかんでも情報を取り入れ中途半端に物事を知るぐらいなら、いっそ何も知らない方がいいと家に引きこもっていた。
そんな情報も、環境も限定して”自分の家”という小さな世界しか知らない男にとっては、自分の住んでいる世界は”宇宙"と等しく、周りが何と言おうと今知っている世界が全てなのだ。他の世界なんてどうでも良い。
なのに、外の世界を知っている人間は、あたかも自分の世界が正解かのように彼に問いかけてくる。
「”昼の光に、夜の闇が分かるものか”」。
そんな男が…ついに外に出ようと試みる。なぜこの男が一週間近くも悩み、外に出ようと挑戦するのか。
「でも、今日だけは何としても…」
と、スマホの画面をのぞく男の先には可愛いアイドルの姿が…。
男が今まで生きてきた世界から、初めて外の世界に興味を示させたのはなんと”たった1人のアイドル”だった。とうとう覚悟を決めた男は重い腰をあげ、ドアノブに手を掛けた…。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ここで示している”外”と言うのは、”まだ知らない世界”のこと。新しい職場だったり、初めての結婚だったり、初めてイベントを開催したりと…誰でも”まだ知らない世界”を知ろうとすることはワクワクする反面、めちゃくちゃ恐いと思う。
最近はネットが発達して、ググれば簡単にある程度の知りたい情報を得ることができる便利な社会になってしまった。
物事の本質を知るためには自分で体感する以外に知る方法はないのに、こんな便利な社会になった事によって何も知らないのに中途半端な知識であたかも”知っている”かの様な錯覚に陥っている人間が増えた気がする。
だから俺は中途半端に知って、中途半端に語るくらいなら何も語らず、何も知らない方がいいと思う。
この場面で"この宇宙空間が俺の全て"と表現したのは、人は結局、自分の知っている世界観でしか物事を捉える事しかできないし、もし仮に他の世界を知りたいのであれば、その分野において圧倒的な経験と勉強をして視野を広げ続ける努力をするしかないのだ。
話はかわるけど、これから何かを始めようとする時に、もうすでに始めている人間があたかも自分が正解かのように問いかけてくる経験はないだろうか。
あくまでその人が知っていることは自分の知ろうとしていることではないかもしれないのに。
ニーチェは”昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか”と語った。光の部分だけを見ていて、闇の部分から目を背けていたら、視野が狭くなってしまう。その人にもその人なりの始めなかった理由があり、このタイミングで始めたのにも理由があるはず。
否定はせず、全てを受け入れて肯定することで、その世界のさらにもっと深い部分を知ることができる。
そして、最後に出てきて”外”に出る理由にもなった「西成のスーパーアイドルあずにゃん」というのは、俺にとってはジョーブログのジョー君でした。
俺は高知県で看護師をやっていてこのまま死ぬまで、この仕事をするんだろうなと勝手に思っていた。でも、あることをきっかけにジョー君に出会い、看護師を辞めて初めてヒッチハイクをしてジョー君に会いに行った。そして実際会えた。
そしてジョーブログを通して出会ったりょうたろーとジャックジョーカーというチームでYouTubeを始めた。
なんと今はそのジョー君にジョーブログカーを託してもらい、旅なんかさせてもらっている。1年前には想像もできなかったことを、この1年間でたくさん経験できている。そう、たった1人の人間の存在で。
最後はYouTubeに乗っ取って、オチをつけたけど、あれは挑戦への一歩を踏み出したからと言って、絶対に成功するわけではないということを伝えたかった。むしろほとんどの場合が失敗する。外野は「ほら、失敗したじゃん」と言ってくるかもしれないけど、挑戦した者に残るのは圧倒的な”挑戦した事実”であり、その経験を元に広がる世界は無限大の可能性を秘めている。
いつか空の飛び方を
知りたいと思っている者は、
まず立ちあがり、
歩き、走り、登り、踊ることを
学ばなければならない。
その過程を飛ばして、
飛ぶことはできないのだ。
ニーチェ
全てのチャレンジャーよ、さぁ飛び立とう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?