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空の道、海をはしる舟の道

考えれば考えるほど現に起こっていることが嘘のようで、高揚感と身体の疲労が交互に襲ってきます。あなたにしてもお腹から取り出された時は驚いたでしょうね、暗くて狭い部屋からいきなり無機質な光の下に晒されたのですから。眼は閉じたままで、顔全体が白い膜に覆われていましたし、それに息もしていなくて、私たちを慌てさせたのですよ。あなたが体を震わせ渾身の力を振り絞って声をあげた時、周りからは温かな歓声が上がったのです。鈴の音のような産声はギフトにふさわしく清らかでした。新しい子宮の揺りかごの中に689グラムの小さな体をすっぽりうずめて、か細い脚を小刻みに動かしていましたね。頭にはブルーのラインが入った白いキャップをかぶせてもらって、実に人間らしいしつらいです。ミニチュアサイズの器具にあちこち繋がれて、あなたの生命を測る数値が赤と緑のランプの明滅で知らされます。生まれたばかりのあなたは極度の寒がりで、指先であなたの脚に触れてみたいと透明の窓から手を差し入れましたら、真冬に暖房のよく効いた部屋のように暖かでした。強く触れたらパリンと破れてしまうのではないかと躊躇うほどに、あなたの皮膚はとても薄くて赤く透き通っていました。私が子どもの頃、それはずっと前のことですが、赤ん坊はこうのとりが運んで来るものと本気で信じていたのですよ。ソロモン王が記したとされる箴言を読むとー不思議にたえないことがあって、それを悟ることができないと。空を飛ぶはげたかの道、海をはしる舟の道がそれであるーそう言うのです。広大な空を道標もなく、どうして道が分かるのでしょう、大海原を航る船はどうして目的の港に辿り着くのでしょう。こうのとりも同じです。今私は不思議に思うのです、手のひらにのるほどのあなたが陶器師によって巧みに練られた特別な作品のひとつであるということを。未完成の器官のまま世に託された命の神秘を前にして、畏れの念に打たれているのは死を受け入れる気持ちをすっかり固めていたからです。あなたが泳いでいた羊水は海の道に通じているのでしょうか、小舟に寝かされたまま曳かれてきたのではないですか、胎が開かれる前から空の道を往き来していたのではないですか。目に見える記憶は薄れ、私の意識は海の底に沈みます。シューシューと酸素の送られてくる唯ひとつの音だけを聴いています。頭の大きな宇宙人のようなあなたとの交信を試みているのです。聞こえていますか? Love ××   Love ×××  


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