5ちゃんねるを見るのを辞めた話

先日、5ちゃんねる(2ちゃんねる)を見るのを辞める事にした。

なんでも実況ジュピター(なんJ)やVIPは随分前から見るのを辞めていたが、5ちゃんねるはずっと見ていた。

ちなみになんJやVIPを見るのを辞めた理由は、主に下記の3つである。
・独特のネットスラングや方言(関西人でもないのに関西弁を使う行為など)が、自分で使うのも人が使ってるのを見るのも嫌悪感があったこと
・スレを更新すればまた新たな面白いスレがあるかも…と、キリがないこと
・不快なワードをNGに入れまくっていったら、最終的にほとんど何も表示されなくなったこと
(スレが常時5つくらいしか表示されなくなっていった)

だが専門板となれば、情報入手の場という免罪符のもと見続けていた。


しかし、いくつかきっかけや思う事があって、5ちゃんねる自体も見るのを辞める事にした。
理由は以下の2つである。

理由①
そもそも議論を求めていないこと

たとえば私が「ハンバーグって美味しいよね」と言ったとしよう。
これがリアルの会話であれば、
「確かにハンバーグうまいよな」
「どこどこの店のハンバーグ知ってる?あそこヤバいぞ」
と、こちらのハンバーグ好きを尊重した会話であったり、もしくは
「え、ハンバーグのどんなところが好きなの?」
となったりするだろう。

しかし5ちゃんねるで同じ事を言えば、
「いや、ステーキの方がうまいから」
「別にうまくねえよ」
「知らんがな」
といった感じで、マウントを取ったり、意識的なのか無意識なのか、他者を見下してる人が残念ながら決して少なくない。

上記の例えで言うなら、「ハンバーグはうまい」という事を主張したいだけであって、
「本当にハンバーグは美味しいのか」
「肉料理の中でハンバーグは1番なのか否か」
みたいなベクトルの、言わば議論は一切求めていない。
しかし、マウント思考でこちらの書き込みを見ている人が余りにも多く、不快になる機会が多くなり、ひいては娯楽の為に利用しているのに、叩かれないか気にしたりするのでは本末転倒だろう。

理由②
振り返った時に何も残らないこと

世の中の娯楽は、記憶に残るもの娯楽瞬間型の娯楽の2種類あると思っている。
例えば私はお笑いや映画やゲームが好きだが、
「昔見た千鳥のライブめちゃめちゃ面白かったなあ」
「あの映画めちゃくちゃ良かったなあ」
「あのゲーム名作だったわ」
とか記憶に残るものは枚挙にいとまがないくらい思い付く。

しかし5ちゃんねるを思い返すと、
「あのスレ面白かったなあ」
「あの書き込み為になったなあ」
というものを何一つ思い出せない
学生時代から何年も5ちゃんねるを見てきたが、
冷静に自問自答した時、本当に何一つ浮かばなかった

同じく見ているTwitterでも、
「Twitter見てるからこそこんな情報を知れた」
「こんな絵を見れた」
というものは浮かぶが、5ちゃんねるでは何も浮かばなかった。

そういう意味では5ちゃんねるは瞬間型の娯楽と言えるだろうが、
下品な話で申し訳ないが、瞬間型の娯楽の筆頭と言えるオナニーは、気持ち良くなる事はあっても不快になる事はない。
娯楽のつもりでやっているのに不快になる機会も多く、後になって思い出や記憶として残るものもない、情報収集としても役に立たない。

冷静に考えた時、自分は何をやっているのだろうか。5ちゃんねるに触れるくらいなら、為にならなくてもゲームや漫画や映画やお笑いなど、自分の好きなものに触れている方がよっぽどいいと、遅まきながら痛感した。

5ちゃんねるやそのまとめブログを普段見ていて、これを見てる方がいたら問いたい。

貴方は5ちゃんねるを見て、具体的にこのスレが、この書き込みが面白かったという思い出、このスレのおかげでこんな情報を知れて役に立ったという記憶はあるだろうか?

もし私の様に、冷静に考えたら何も思い付かなかったという方がいたら、5ちゃんねるから離れて、貴方の好きな別の事に時間を使った方がいいのかもしれない。

#5ちゃんねる

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