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- 自分は何のために働いているのか -

| はじめに |
私は昨年の秋に東京の大手銀行を辞め、まちづくり会社を設立するために富山県に移住しました。
富山には縁もゆかりもないですが、自分の夢を実現できるのであれば、場所は問わなかった。その思いがこの決断をさせ、そこに迷いや後悔は1ミリもありません。
僕の働く目的はこの決断が全てです。
・・・そんな僕の人生と働く目的が、皆さまの就職活動に少しでも役に立てればと思います。

| 夢のきっかけ |
自分は何のために働くのか。その問いの答えは幼いころからの夢と、その広がりにあります。
自分は幼いころから教員になるのが夢でした。
両親が教員ということもあり、土曜日はよく学校へ連れられ、お父さんの授業を何となく見ていました。授業に混ざることも多々あり、足の速さに自信のあった自分は、小学生の先輩たちにも負けなかったのを鮮明に覚えています。
そして、卒業した子どもたちからの近況報告を受け、キラキラ輝いている両親の姿を幼いながらに「かっこいいな」と思っていました。
こんなにも人の人生に影響を与えられる職業が素敵だと思い、自分も両親の様になりたい。そう思っていました。

| 人生の選択 |
漠然と「教員になりたい」と思っていた自分に最初の人生の選択が来たのは、大学進学時でした。教員になるために東京学芸大学を志望し、受験をする過程で早稲田大学にも合格することが出来ました。
どちらに進学するべきか。人生においての初めての大きな選択をすることになりました。
両親やお世話になった先生、当時サッカーをしていた時の監督等多くの方とお話しをしました。
その中で「将来社会で働く人を教えるに当たって、お前が社会を経験しなくて何を教えられるんだ」とある方に言われたことが心に響き、先ずは社会に出ようと決意し、早稲田大学に進学しました。
※東京学芸大学は中等教育教員養成課程であり、ビジネスについて学ぶことが出来ないと当時考えたことが背景にあります。

| 夢の実現に向けて |
早稲田大学スポーツ科学部に進学し、ア式蹴球部に入部。サッカー漬けの4年間を過ごした訳ですが(ここは話すと長いので割愛します。笑)、夢とその実現へのプロセスの意思は変わりませんでした。
教員免許を取得し、その上で社会に出た後に教員になると決めていました。その軸で就職活動にも取り組んでおり、いち早く社会と経済を学びたいとうことから銀行に絞ってエントリーしていました。

| 転機の訪れ |
無事、三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)へ入行し、誰よりも早く担当を持ちたいという希望通り、RM(営業担当)が4人程度の小さなお店に配属され、早くに担当を持たせていただいておりました。
お客さんと信頼関係を築く中で、気づけば自身の"夢"についてよく話しする様になっておりました。
そんな時、ある私が尊敬する経営者の方に「教員になりたい」という夢を話した際に、「夢が小さい」と怒られたことがありました。
当時は、「何て失礼な人なんだ」と思いましたが、今振り返ると、夢について再度考える良いきっかけを頂いたと思ってます。教員という職業で自分の夢は実現できるのだろうかと考えるようになりました。
"人の人生に影響を与える”ことは、簡単なことではありません。
それも私はより多くの人に影響を与えたいと考えていました。
そう考えた時に、当時学校法人も多く担当していた自分は、
教員としてよりも、自身で学校を設立した方が実現に近づくと考えました。
「どうしたら学校をつくれるのだろうか」
「1から学校を設立するのか。今ある学校を承継するのか。」
いずれにしても、営業としての金融の知識だけでは到底足りないと感じました。
経営はもちろんのこと、人事・総務・経理・事業計画等学ばなくてはならないことが沢山ある。経験しなくてはならないことが沢山ある。
そんな時に出会ったのが、M&Aのアドバイザリーという業務でした。
会社の売り手と買い手を繋ぐアドバイザーということで、あらゆる知識を学ぶことが出来ると思い、社内公募に応募しました。

| 人生で最大の決断 |
M&Aのアドバイザリー業務は、営業とは全く異なり、新しいこと・膨大な知識のインプットの連続で日々悪戦苦闘しながらも、充実した毎日を送っていました。その中で、少しずつではありますが、より社会に大きな影響を与える様な仕事にも携わることが出来るようになり、自然と自分の実現したいことについてもう一度考えるようになりました。
自分の実現したいことは、学校をつくることなのだろうか。実現したい「教育」って考えたことがあったのだろうか。そんなことを考えていく内に、ある答えに出会いました。
学びはいつ始まってもいい。一生学び続けることが出来る環境。"シブヤ大学"や"自由大学"を見つけたときに、「これだ」って思いました。
「生き方・働きかた」を軸に、時代が求めることに柔軟に変化し、知性や創造性を経験から学べる環境。
地域と一緒につくり上げていくそんな事例に出会った時に、「コミュニティ」をつくりたいと強く思いました。
コミュニティづくり=人づくり。
 人づくり=まちづくり。
そんなことを何となく考えていた中で、ご縁からその環境に挑戦するチャンスをいただきました。当然その決断に迷いはありませんでした。

| 富山のまちづくり |
富山で働くようになって、約1年。銀行に入行した時は、まさか富山にいるとは思ってもいませんでした。責任とプレッシャーの連続の中で、会社は設立して2か月後にはコロナウイルスにより事業プランは全て見直し。
1日の中に良いこと・悪いことが10コずつくらい起きているんじゃないかと思うほど"目まぐるしい毎日"を送りながら、それでもいま、確実に言えることは、「夢に向かって着実に、一歩ずつ前に進んでいる」という手応えがあること。そして、素敵な人たちに支えられているということ。

だから毎日が楽しい。銀行にいたらまた違った人生を歩んでいたかも知れない。でもその人生に後悔は1ミリもありません。
それは自分の夢の実現のために1つずつ近づいていることを実感しているから。それが僕の働く理由です。

| 最後に |
私から就活中の皆さんにお伝えしたいことは、
夢はいくらでも変わって行くということ。
だから今、無理やり決めつけなくても良い。でも常に夢は持ち続け、口に出して言い続けてみて欲しいです。そこにチャンスが転がってくるから。
それを掴むか、掴まないかは自分次第。運も実力です。

最後に1つ、就職活動で本当に真剣に取り組んで良かったと今でも思っていることは自己分析です。
是非、自分と見つめ合ってみてください。

中谷幸葉(なかや・こうよう)1992年茨城県生まれ。早稲田大学スポーツ科学部卒業後、三菱東京UFJ銀行(現:三菱UFJ銀行)に就職。法人営業を経て、その後M&Aのアドバイザリー業務に従事。現在は富山県へIターン。株式会社TOYAMATO(https://toyamato.jp/)取締役。

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